ぽぷ雑記

めちゃくちゃ不定期に更新する。近況報告がメイン

新宿に豪雨を降らせて見えたもの

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12月27日のクリスマスライブをもって私はコナを引退した。正直なところ、引退といっても4年の早稲田祭からまたバンドは復活出来るしサークルの同期、後輩とは会おうと思えば簡単に会えてしまうので悲しさはない。が、やはり何か胸に迫るものがある。引退という節目を迎えた今、この瞬間にしか書けない、これまでのサークル活動でのあれこれを振り返りながらつらつらと文章に残しておこうと思う。バンドメンバーに関する話も多々あるが、全て私個人の目線・感情基準での話なのでもし何か実際と異なる部分があれば申し訳ない、ということを先に述べておく。

 

サークルに入ってから今日までを思い返した時、まずは「光陰矢の如し」という言葉が本当にその通りであったという実感が湧き上がる。サークルの新歓コンパで当時の幹事長から

「うちのサークルは固定バンド制だから、一度バンドを組んだら引退までサークルを辞めて欲しくないんだけど、大丈夫?」

と尋ねられた。当時の私は(3年の冬までサークルを続けるってかなり先を見据えた話だなぁ……長いけど多分大丈夫でしょ)といった具合に考えていたのだが、誇張抜きに一瞬で約3年という月日は過ぎ去った。大学入試、入学式ですらついこの間起きた出来事のように感じるのだから、サークルだって同様だ。

 

ライブ中のMCでも少し話したが私は大学に入るまでテニス部だったのでバンドとは無縁の人間だった。ただ、高校生の時からひとカラが好きでお小遣いのほとんどをカラオケ通いに費やすくらいには歌うのが好きだった。今も大概だが当時は相当歌が下手でありつつも、高校3年生になり受験勉強に勤しむ頃にはすでに「大学に入ったら歌うの好きだしバンドをやってみたい!」という半ば憧れに近い思いがどんどん膨らんでいた。

 

2月、無事に入試を突破した。4月、晴れて大学に入学すると新歓期真っ只中のキャンパスを歩いているだけで数多のサークルのビラが手元に集まった。その中にはバンドサークルのビラも複数あった。ただ、どのサークルに行けばいいかなんてわからないし、そもそも自分はバンドサーでやっていけるのか?という不安が生まれた。完全に初心者だし、フリー制のサークルに入ったとしたらバンドを組んでくれる人がいるのかも分からないし、なんとなくのイメージだがチャラい人が多くて馴染めないんじゃないか、みたいな心配もしていた。実際、某バンドサーの新歓に行ったら新入生が(!)先輩にビールをコールで飲ませ、タバコもガンガン吸っている光景を目撃し、「これがバンドサーなのか……怖い世界だな……」と戦慄したものだ。

 

そんな私が「ここなら馴染めそう!」と思ったのがコナだった。固定バンド制だから人見知りを発揮してライブのたびにバンドを組めずじまい、なんてことがないし3年間同じメンバーでバンドをやれるのは楽しそう、というそんな安易な理由だったが、とにかくコナ以上に良いバンドサークルはないと直感で思ったし、新歓コンパに行ってからはコナ以外のバンドサークルは見ていなかった。コナに入れなければバンドはやらず他のサークルを探そうかな、と考えていたくらいだ。私をコナのボーカルとして受け入れてくれた2個上の代には深く感謝している。

 

コナでの最初のライブはご存知の通り、新入生ライブだ。私はback numberの青い春と、東京事変の新しい文明開化をやらせていただいた。back numberとか歌ってたんだね自分……。この記事を書くにあたって久々にこの時の音源を聴いたが、よくこれでボーカルをやろうと思ったな、と思わず苦笑してしまった。歌声からは緊張感がありありと伝わってきたが、先輩と組んで初めてのライブに臨んでいたわけだし、ライブ後に固定バンドを組むのだから平然と歌えるわけがない。今までのサークル人生で一番緊張した練習、ライブだった。


東京事変 - 新しい文明開化

 

実はこの新入生ライブの時からこうくんにはお世話になっていた。この時、まさか自分がこうくんと固定を組むとは全く思っていなかった。この際正直に書くが、初期のこうくんのツイートがかなり尖っていたせいでこうくんは怖い人だ、という印象を持つようになり、こりゃ初心者の私とバンドは組まないだろうな……と思っていた。新入生バンドの部室練で、どういう人と固定を組みたいの?という話になった時に、「楽器隊はまだライブを聴いてないからなんとも言えないけど女ボーカルの曲が好きだから女ボーカルと組みたい」という旨のことを言ってるのを聞いて(あ、そしたらこの代の女ボーカルは私とたなひなしかいないからたなひなと組むんかな。あの子相対性理論とかが似合う声だったしザ・女ボーカルって感じだもんなぁ)と考えたくらいだ。まさか理論のりの字も出ないような曲をたなひなが引退ライブで歌ってるとはこの時誰も想像していなかったが。

 

一方で、バンド決め会議当日を待たずとも、組みたい人がいれば個別で声をかける、という動きもちらほら見られた。風の噂であの人とこの人がもう組むことを約束した、みたいな話を聞くたび「うげ〜〜〜やべぇ〜〜〜これ当日売れ残るかもしれんやんけ〜〜〜」と内心焦っていたが、ありがたいことに私も声をかけてもらった。それが植山だった。詳しいことは忘れたが植山とは学部が同じということとツイッターつながりで入学初期からの知り合いだ。その流れで複数人でカラオケに行く機会もあったのでそこで私の歌がどんなもんなのかは知ってはいる。それで声をかけてくれたのかなと思った。まだライブをみてないので私は植山がどのくらいベースを弾けるのか知らなかった(めちゃ弾けるみたいな噂は耳にしていた)が、純粋に一緒にバンドを組んでくれる人がいるという事実が嬉しくて二つ返事でオッケーした。

 

そんなこんなで新入生ライブでボーカルデビューを果たし、いよいよ固定バンド決めとなった。会議室に入るとすでに4人のボーカルの名前がホワイトボードに書かれており、その横にギター、ベース、ドラムの欄が用意されている。なんとも殺風景だ。ベースはもう決まっているけどギターとドラムで組んでくれる人がいるだろうか……不安がピークに達する。どんな曲でも歌うから、組んでくれ……心の中でそう切実に叫んでいた。

 

「もう組むことが決まってる人いたら名前をホワイトボードに書いていいよ」

その幹事長の一声で、妙に張り詰めた空気が一気に変わる。それまで周囲の様子を伺っていた人たちも、その言葉を皮切りに部屋の前に出て名前を書き始める。ただ、この段階ではさすがにどのバンドも欄が埋まることはなく、大半のメンバーはその場で決めることになった。

 

「じゃあ、こっからはとりあえず組みたい!と思う人のところに名前書いてってね、かぶったところとかは話し合いをして、決まったら印つけてね〜」

問題はここからだ。この期に及んで私から声をかけられない、とか言ってられない。誰かに声をかけなきゃ……そう思った矢先のこと。私の名前の横のギター、そしてドラムの欄に名前を書く人が現れた。それがぱいせんとこうくんだった。おそらく新入生ライブで植山のベースがうまかったのを見て、上手い人と組みたい!という二人が植山の名前が書かれた私のバンドのところに名前を書いたのだろう(他にもいろんな理由があるのかもしれないが)。なんにせよこの段階でもうメンバーが揃ってしまったので植山パワーすげえ……ありがてぇ……と頭が上がらない気持ちでいっぱいだった。

 

これでバンドメンバー確定かな?と思っていたが、私のバンドには忘れてはいけないメンバーがもう一人いる。それが中田だ。それまでのコナはキーボの人が固定でバンドを組むことがなく、ライブごとに参加するバンドが変わったり、そもそも参加しないライブもある、といった具合だった。吹奏楽のサークルをメインにし、バンドはサブとして考えていた中田も固定を組めるとは思っていなかったそうだが、「キーボの子とバンドを組めたらやれる曲の幅が広がる」という植山の意見(確か)によって、他の人と話し合い中の中田に声をかけたのだ。

「もしよければ一緒に固定組まない?兼サー先が忙しければ全然そちらを優先してもいいので!私はaikoみたいに可愛い声で歌えないけど、でもがんばるので……」

なんとも頼りない誘い文句を口にした気がする。最初、中田は

「いや、でもほんとたまにヘルプとしてライブに出してもらうとかでも全然良いんだけど、本当に固定組んでも良いの…?」

と遠慮がちに言っていたが、最終的には固定で組むことを承諾してくれた。

「まさか固定を組めるとは思ってなかったから嬉しいです、よろしくお願いします」と中田が皆に挨拶したあの瞬間にC¡tron!が誕生した。バンド組み会議で最初にバンドを組めたのがシトロンだったと思う。「楽しくやっていこう」なんて会話を交わしながら、無事にバンドを組めた私はほっと安堵の息を漏らしていた。

 

固定の初ライブである7月ライブは中田が兼サー先の用事と被って出られなかったので4人で出た。残念な気持ちもあったが、完全体のシトロンでライブに出るのがますます待ち遠しくなる。SuperflyのAlright!と中島美嘉のGLAMOROS SKY、ユニゾンの場違いハミングバードの3曲が初セトリだ。キーボがいないというのも曲選に影響しているが、シトロンらしくない異色なセトリである。そしてなんだかんだこの時2曲ギタボをしていた。GLAMOROS SKYのギタボに関しては、ネットに落ちているtabがギタボ向けじゃない、ということでぱいせんがわざわざ簡易化したものを教えてくれた思い出がある。やさC......


中島美嘉 Glamorous Sky 2011live

 

 ライブに向けて初めて部室練に入った時、私は気づいた。

あれ?楽器隊みんな上手くない??初心者なの私だけでは??

気づくの遅いわ、というツッコミが入りそうだが、実際そうだったので仕方ない。こうくんに関しては新入生ライブの時に事変を叩けていたのでうまいのは知っていた。が、部室練で実際に演奏に合わせて歌った時に違和感というか、歌いにくさが全くなかったのでベースもギターも安定してる……と初心者ながらに実感したのだ。その時、私は嬉しさ半分、重圧半分を感じた。ずっと憧れていたバンドを組み、初めて練習に入ったことで本当に自分たちで曲を演奏しているんだ!という感動と、楽しさと、嬉しさがあったのは事実だった。しかし、バンドはカラオケではない。歌が下手だとバンド全体の完成度が低くなり、楽器隊の足を引っ張ってしまう。そういう意識があった。楽器隊皆がうまいとなるとそれは尚更である。はやく私も上手くならなきゃ、という責任感に近いものを感じたのだ。そしてその気持ちはライブを重ねるごとに強まっていった。

 

中田がライブに初めて出られた、すなわちシトロンとして初めてライブに出たのは9月ライブだった。が、この9月ライブはシトロンの黒歴史ライブとして名高く、話題に出すことは固く禁じられている(嘘)。私が喉を枯らしてまともに歌えなかったこと、暗譜が間に合わずボロボロの演奏、という内容で逆に思い出深いライブだ。せっかくの中田お披露目ライブだったのに……と、思い返すとかなり申し訳ない内容だったと思う。

ただ、この時の部室練を通して中田が絶対音感の持ち主でキーボもがっつり弾けることがわかったので、これは3年間固定としてやっていけば、引退する頃にはかなりいい感じのバンドになるんじゃないか、という予感を得た。きっと他のメンバーもそれに近しいものは感じたと思う。

ちなみにこの時のセトリはフジファの夜明けのbeat、aikoのLoveletter、ZONEのsecret baseである。特にsecret baseの爆死っぷりは最初で最後のものだった。基本ライブの音源は必ず一回は聴くのだが、この時の音源は一度も聴いてない。


ZONE Secret Base 〜君がくれたもの〜(English Subs+Romaji+Kanji)

 

9月ライブで爆死した悔しさをバネに臨んだのが早稲田祭である。けいおんNo,Thank You!阿部真央のふりぃ、そして事変の透明人間というセトリだ。シトロンといえば事変とかアカシックとかaiko系統の曲をよくやる、自他共に認めるおしゃれバンドだ(よね?)。そんなシトロンが初めて事変をやったのが早稲田祭での透明人間なのだ。エモい……。個人的にはけいおんのギターを弾くぱいせん、というのがレア度高くて面白いなと思っている。外部の人が見にくる初めてのライブで、緊張で声が震えたが聴きにきてくれた人から「シトロンのベースうまかった」とか「1年生バンドの中で一番バランスがよかった」とか「歌うまいんだからもっと自信持って歌っていいと思うよ」とか、そんなコメントを直に聞けたのが嬉しかったしモチベーションが高まった。


透明人間 - 東京事変(Tokyo Incidents)

 

そしてこの頃からボーカルの声質、歌い方に合わせた選曲ではなく、楽器隊を押し出せるような選曲をしてもいいんじゃないか、という方向へシフトしていった。私としてはせっかくかっこいい楽器隊がいるのだからその選曲の仕方は大歓迎だったしそうした方がますますシトロンが良くなると確信していた。が、そこで初めて壁にぶちあたる。それが、あまりにも私と声質の違うアーティストの曲はどう歌えばいのか、という悩みだった。バンドを始めたばかりの頃はそこまで考えが及んでいなかったが、演奏のクオリティが高い楽器隊がいるのだから歌も原曲に寄せないと聞いてる側は違和感を覚えるんじゃないか?と気になるようになったのだ。実際、全体を通してバンドメンバーは私の歌い方とか声質をある程度考慮した上で曲を提案していたことが多かったように思う。 が、やはり毎回私の歌に寄せた曲をやるとは限らない。

 

早稲田祭の後の固定ライブはクリスマスライブだが、この時にパスピエのS.Sをやった。エス🔥エス🔥さらって😈さかしまなポーカフェイス🔥。このパスピエをやるとなった時、かなり葛藤した。というのも、パスピエは誰がどう考えても私の歌よりもたなひなの歌の方がしっくりくるし、当時のたなひなはパスピエが好きで良く聴いている、とのことだったので私の歌が正解になることは絶対にないのではないか、と思ったのだ。そもそもバンドに正解、不正解なんてあるのかいまだにわからないが、とにもかくにも練習している時に楽しさよりもモヤモヤを強く感じた曲はバンドを始めてからこれが初めてだったかもしれない。


S S

 

そんな葛藤から私を救い出し、そして引退するまで支えてくれた言葉がある。それが、いつの日か植山が言っていた

別に原曲に寄せなくても良いんじゃない?原曲と違っても面白いだろうし、黒木バージョンってことで

という言葉だ。おそらくこれを言った本人は覚えていないだろうし、大して深い意味を込めていなかったのかもしれないが、「他の人が歌った方が良いとか考えず、私は私の歌でバンドをやってもいいんだ」と許された気がしたのだ。このクリスマスライブ以降も私の声、歌い方とはイメージの違う曲をやることがあったが、その度にこの言葉を頼りに歌い続けることができた。だからといって完全に原曲を無視するということはせず、下手なりに歌い方のニュアンス、込める気持ちを変えていったつもりである。特に引退ライブではバラードもあったのでいつも以上に意識したが、果たして一年生の時から成長できていただろうか。

 

2年生に進級すると初めての新歓ライブがある。この新歓ライブで初の耳コピ曲であるねごとの黄昏のラプソディ(下の動画の3:20~)を披露したが、この頃には「いや、楽器隊ほんとすごいな……」という尊敬の念がかなり強くなっていた。ちなみに、引退ライブの部室練でも「ねごとが今までシトロンでやった曲の中で一番うまくできた気がする、音源聴いててバランスいいと思った」と植山が言っていたのできっと完成度が高かったのだろう。そんなこんなで、この頃には「シトロンのボーカル」というよりも「シトロンの楽器隊のファン」と形容した方がより自分の立ち位置が正確に表せているんじゃないか、と思うようになった。


ねごと 2014-12-6 LIVE

 

 そして。尊敬の念が強まったことが引き金となり、新歓ライブを終えたあたりから私は暗黒期に突入した。バンド内でトラブルがあったわけではない。本当に自分勝手な話だが、単刀直入に言えばシトロンのボーカルを務めることが重荷だと感じるようになったのだ。ライブをするたびにちょくちょく耳に入る「シトロンってうまいよね」という褒め言葉ですら、私にはきつかった。なんというか、自分の歌に自信がなさすぎるのが全ての元凶なのだが、その時の私は自分が歌えば歌うほどシトロンの足を引っ張っているんじゃないか、という地獄のような思考に陥っていた。まさに1年の7月ライブで感じたあの重圧が限界点を突破して一気に襲いかかっていたのだ。

 

さらに、同期の女ボーカルであるたなひなはちゃんと歌い方にキャラというか、らしさというか、ちゃんと他のボーカルと差別化できているスタイルがあって、バンドで映えていた。それに比べ、自分はどうだろうか……と考えることも増え、そのたびに辛くなった。たなひなからすれば勝手に比較対象にされ、勝手に病まれてたまったものではないかもしれないが、ボーカルの方向性が違うとはいえやはり唯一の同期の女ボーカルということもあってかなり比べてしまう時期もあった。

 

だから、前撮りの都合で7月ライブに出られないとなったときは内心すごく安心した自分がいた。ひとまず7月は歌わなくて済むんだ、と開放感すら感じていた。

 

ただ、9月ライブが近づくとまた憂鬱な気持ちが募っていった。7月ライブはインストと中田のキーボボーカル、そしてそらくんをヘルプで呼ぶことでちゃんとバンドとして成立していたから、私が歌わんでもいいのでは?という無責任な考えも生まれていたのだ。かなりクソなボーカルである。

 

あぁ、「楽しくやる」ってなんだろうな、とバンド組みの時の会話を思い出しながらぼんやり自問自答するようになった。純粋に音楽をやってる瞬間を楽しむこと?バンドとしての完成度を高めること?ひたすら巧さを追求していくことなのか?完全にわからなくなっていた。「楽しさ」が何を指すのかわかっていなかったが、間違いなくその頃の自分はバンドを楽しいと思えなかった。引退までまだ一年以上あるけどこのままバンドをやりきれるかな、楽しくないのにバンドをするのは他のメンバーに対して失礼ではないか、辞めた方が悩まずに済んで気が楽になるんじゃないか……なんて考えが何度も脳裏をよぎる。完全に一人で暴走して沼にどんどん沈む構図である。別に他人から何か言われたわけでもないのにここまで悩めるのはある意味すごいよ、と当時の自分を笑い飛ばしてやりたいくらいだ。

 

と、こんな感じで泥沼にズブズブだった私がどうやってそこから抜け出したのか。それは他でもない、シトロンのおかげであった。シトロンのことで悩んだのに、シトロンに救われるあたりやっぱり自分はバンドメンバーに心底惚れ込んでいるファンなんだな、と痛感した。すなわち、悩んだ自分はシトロンのボーカルとしての自分だったが、救われたのはシトロンのファンとしての自分がいたからこそだと思うのだ。きっかけは9月ライブの部室練での出来事だった。

 

9月ライブの部室練のために学館に向かう足取りはかなり重かった。初の合わせ練習だったが、きっと楽器隊はいつも通り難なく通しで演奏できるんだろう、私は音が怪しいところもあるし上手く歌えないけど……と卑屈な気持ちしかなかった。特に9月ライブでは私のリクエストが通って事変の電波通信をやることになっていたが、リクエストしておきながら肝心の自分が完成度一番低いんだろうな、と考えてしまいバンドで合わせることを楽しみにする気持ちよりも苦しさの方が優っていた。

 

そんな暗い気持ちで部室に入ると、そこには4月の新歓ライブ以来に集まったシトロンのメンバーがいた。いつも部室練では中田が場を和ませてくれるのだが、その時も例に漏れず中田が他愛のないことを言っていた。特段面白いことを言って場を湧かせていたわけでもないのだがそれがたまらなく私の黒く凝り固まった心を溶かした。そして、いつも通り「まずは一回合わせてみようか」という植山の一言で私の大好きな電波通信を、4人が演奏し始めた。


【中文字幕】東京事變 電波通信 (live)

  鳥肌が立った。思わず口元が緩んだ。いや、もうなんなんだうちのメンバーは、と。単純に楽器が上手いというだけではなく、4人の演奏からまとまりを感じたし、こんなに最高なメンバーと一緒にバンドを組んでいるのはすごく幸運で恵まれた事なんだと衝撃が走った。それと同時に、この楽器隊の演奏で歌えるのはシトロンのボーカル、私だけなんだと気づくとどうしてあんなに下らないことで悩んでいたんだ、と思えた。自分の歌が下手だとか、完成度がどうとか、そういうことを気にして楽しくなるわけがない。バンドなんだから自分の歌だけ気にしたって仕方ないのだ。「4人が演奏する音を楽しむ」のが一番大事で、その演奏に乗せるように歌わないともったいないと気付かされた。バンドを辞めるなんてもってのほかである。この4人の演奏を一番近くで聴き続けたい、だから引退まで私はシトロンで歌おうと、そう思えた途端に一気に目の前が開けた。

 

暗黒期を抜け出せた私は、また1年生の時みたいにただただ楽しくバンドができた。自分の歌のことで悩むことがなくなったわけではないが、それでも4人が演奏するのを聴くたびにワクワクしたし、このメンバーでどこまでいけるのかが知りたくてしょうがなかった。御祭騒ぎは2年の早稲田祭でやったのだが、おそらくこのあたりの選曲から中田のキーボが鬼畜の筋肉ゲーになり始めた気がする。初めてボーカルエフェクターを使ってラジオボイスにしたのも御祭騒ぎでした。そういえば初のCymbalsも2年の早稲田祭でしたね。コミュニケーションをブレイクするダンスもしました。


Tokyo Jihen Omatsuri Sawagi

 

2年の早稲田祭が終わるとあっという間に2度目のクリスマスライブを迎え、1つ上の代が引退した。こう見えて涙もろいので先輩たちのエモシーは結構ジーンときたし、特に温野菜のめるさん、ももさんがライブを終えた後に泣きながら抱き合っているのを見て大きく心揺さぶられた。引退の時にそんなに感慨深くなれるほどサークル、バンド活動に思い入れがあるんだな……と二人の胸中を推し量ると、自分もああいう涙を流したいな、とふと思った。この時に自分たちの引退を初めて意識したかもしれない。一年後の引退ライブでは、どんな気持ちでどんな曲をやるんだろうか、と。3年になってからの部室練でもちょくちょく「ゆーて引退は泣かないっしょ、このバンドの人皆ドライだからな〜」みたいな会話をしていたが、そんな中でも私は(や、自分は泣くかもな……)と内心思っていたのは内緒だ。

 

さて、一個上の代が引退したということは、私たちが幹部代になり、これまで先輩たちが作ってきたコナを引き継ぐことになる。私はヒラ部員ではあったが、ちゃんと新歓期に新入生を集められるだろうか、3年生バンドとして魅せることができるだろうか、なんて色々思いを巡らせるようになった。ただバンドを楽しむだけではなく、後輩の存在を意識してライブに臨まないといけないんだな、という幹部代としての覚悟が芽生えたのだ。特に「新入生をしっかり新歓する」という部分はコナの存続にかかってくる部分だったので新歓ライブのセトリはかなり気合いを入れて考え、練習も普段より力を入れた。アイス休憩が大好きなシトロンが、この時はアイスも食べずひたすらnight museumをループして練習したのも良い思い出だ。部活並みの熱量あったね……。この時期は同期と顔をあわせるたびに頼むからドラム入ってきてくれ〜なんて言ってたのが懐かしい。

 

そしていよいよ3年に進級し、2度目の新歓ライブを迎えた。この新歓ライブには忘れられないエピソードがある。この時のセトリは以下の5曲だ。

・夢見る隙間/aiko

・怒れる小さな茶色い犬/Cymbals

・night museum/カラスは真っ白

・サイノロジック/アカシック

・SUPERCHARGER/PENGUIN RESEARCH


【PENGUIN RESEARCH】SUPERCHARGER MV

 

シトロン全開な4曲と、キメる感じの心臓アフターバーナーで挑んだのだが、この時のライブを見てコナに入ることを決めてくれた後輩がいたのだ。それがかわしぃだった。おそらく自分は後輩から見たらかなりとっつきにくい先輩だったと思うが、ありがたいことに仲良くしてくれる可愛い1年生の後輩ができた。それだけですでにめちゃくちゃ嬉しいのだがその中でもかわしぃは私の中で特別な後輩だった。かわしぃはロマーノのコンパでも卓が一緒で、喋るのが苦手な私が一生懸命新歓した1年生だった(かわしぃが話してくれるので助かった)し、新入生ライブも一緒に組んでSCANDALの少女Sをやった。あの新入生バンドは本当に楽しかった……。パピコを半分こして食べたりオムライス食べたりたざわとゆるくギターを一緒にできて青春してたね、練習のたびに徐々に曲として完成していく過程が肌で感じられてすごくよかった。


少女S / Shoujo S / SCANDAL 2015-2016 PERFECT WORLD / 歌詞 lyrics furigana

 

かわしぃはコナに入った時、そして引退でもらった寄せ書きアルバムでこう伝えてくれている。

自分がバンドサーに入ろうと思ったのはC¡tron!の演奏を聴いてだったので

それまでは自分たちにとって満足のいく演奏ができたか、ということに気を取られがちで聴いた人たちがどう受け取ったか、ということまであまり意識していなかった。けれど、このかわしぃの言葉をきっかけにライブに臨む時、そして歌うときに込める気持ちが大きく変わった。もっと自分たちの演奏を聴いてくれ!!という思いが強まったのもこれがきっかけである。

大げさかもしれないが、自分たちのライブを聴いた人に「何か」を残すことができるようなバンドになったんだ、ということが一番実感できて本当に嬉しかったし、そういう「何か」をどんどん聴いている人にぶつけられるようなライブをしたいと考えるようになった。だから、あの新歓ライブは自分にとって特別なものだった。

 

7月ライブを迎え、1年生の固定バンドがお披露目となった。固定バンドでの初ライブを見るのが一番好きかもしれない。固定としてのスタートを切る瞬間をこの目で見て、これからどんなバンドになっていくのか見守れるのが良いよね。1年生は初心者が多いと聞いていたがバンドパッションの高い子が多く、どのバンドも初ライブなのにめちゃ良い感じに演奏していてかなり刺激を受けた。自分も3年生として頑張らないと、後輩から目標とされるようなボーカル、バンドでありたいな、なんて厚かましくも思っていた。7月ライブでやった曲の中だと、事変が好きというシシィ〜を結構意識して歌ったは先輩バンドとしての底力を見せたるぞ、という気持ちが私の中にあった。


心 (Kokoro)

 

 

実はこの7月ライブを機に、私はライブ中に楽器隊を意識的に見るようになった。きっかけはフォトページでぱいせんがめちゃめちゃ激アツにギターを弾いている様子を目にし、ギュンときたからだ(語彙力)。それまでは歌っているときに周りを見ている余裕がなかったのだが、普段メンバーはどんな感じで演奏しているんだろう、と気になり、思い切って見るようにしたのだ。部室練の時も壁の方を見て、耳で音だけ聴いて練習をしていたのでライブの時に演奏をしているメンバーを見るのが密かな楽しみになった。個人的にはやはりぱいせんがギターを楽しそうに弾いているのを見るのが一番好きだった。こうくんも中田も植山もどちらかというと冷静な感じで演奏しているのだが、ぱいせんは曲の展開に合わせてノリ方が変わるのがすっごくよかったのだ。

 

ぱいせんが楽しそうにギターを弾いているのを見るのが好きな理由は他にもある。基本的にシトロンの曲選は、ぱいせんが普段聴く曲の趣味とはズレたものが多かったんじゃないかと思う。とはいえぱいせんは曲決めの時もあまり主張が強くなく、たまに曲を提案する時もごく控えめだった。曲決めで決まった曲を毎回弾きこなしてくれているが、果たしてぱいせんはシトロンでギターを弾いてて退屈に思っていないか…?と何度も気になった。けれど、そんな私の心配はあのライブ中のぱいせんの姿を見るたびに振り捨てられた。どこかホッとするというか、嬉しさというか、そういうのがごちゃ混ぜになった感情でいっぱいになったのだ。だから、ライブ中はギターを見ることが一番多かった気がする。激エモギタリストぱいせんの姿を見ることで私はより歌に入り込むことが出来た。

 

ちなみに、7月ライブでやったキノコホテルのもえつきたいのはぱいせんが「ちょっとやってみたいかも」と提案した曲なのだが、曲を聴いた瞬間にかなり好きになり、ワンマンにも行くほどハマった。これ以外にも良い曲がたくさんあるのでぜひこのブログを読んだ人は聴いてほしい。私はおねだり・ストレンジラヴもすこである。


キノコホテル「もえつきたいの」 PVフル  - kinocohotel -

 

7月ライブを終えると残りの固定ライブが9月、早稲田祭、そしてクリスマスライブしかないことに気付き、いよいよ引退を視野に入れて残りの選曲を考えるようになった。3年生に入ってからはもう自分の歌い方がどうとか悩むことが皆無になり、そんなことよりも4人が演奏する曲をたくさん聴きたいし他の人にも聴いてほしいという気持ち、つまりバンド愛の高まりがとどまるところを知らなかった。

 

特に、現役最後の早稲田祭で一旦エモの頂点に達した。早稲田祭のセトリはバチバチのおしゃれ系で固めよう、ということで

・デモクラシークレット/パスピエ

・My Patrick/Cymbals

・女/アカシック

・本能/椎名林檎

・丸の内サディスティック/東京事変

の5曲になった。アカシックの女は中田がどうしてもやりたい、と早稲田祭以前から推しに推しまくっていた曲で、ようやくここで実現することとなった。

3年のアー写は自撮りで撮ろうと2年の時から言っていたのでカメラマンを呼ばず、小学校居酒屋に行って歩く自撮り棒こと植山が撮ってくれた自撮りをアー写に採用した。ちなみに、バンドメンバーで飲みに行ったのは何気にこの時が初めてである。飲みにいくよりも先にメイドカフェに行ったバンドはおそらくシトロンだけだろう。

 

早稲田祭のセトリの曲はどれも歌ってて本当に楽しくて、練習に入るのが待ち遠しかったし、早稲田祭本番のライブでは多くの人に見にきてほしいと思った。それまでは緊張するからあまり知り合いに見られたくない、という気持ちが若干残っていたがこんなにバチバチのライブを見ないなんてもったいない、見にこなきゃ損だよ!何よりもかっこいい楽器隊の演奏を一度でいいから生で聴いて欲しい、という思いが爆発していた。

 

そんな私の気持ちが通じたのか、早稲田祭当日はおかげさまで多くの人がライブに足を運んでくれた。そして、早稲田祭リハライブよりも満足のいくライブができ、かなり達成感があった。ライブを終えた後、聴きにきてくれていた学部の友達から「本当にうまかった、固定ってすごい」「昔一回ライブを見たときよりも歌がうまくなってた」という言葉をかけてもらい、あぁ自分もちゃんとシトロンで成長できていたんだな、と思えて嬉しかった。

なによりも、早稲田祭のライブでの演奏はいつも以上に演奏の息が揃っているというか、一体感をビリビリ感じていて、もはや演奏を聴くことに心地良さすら感じていた。女のフュージョンは激アツかったし、歌ってて気持ちよかったのだ。個人的には丸の内サディスティックが結構気に入っている。

 

そして、一番感慨深かったのが大学1年の時から早稲田祭を見にきてくれていた友人からのラインだった。

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 互いの背中を任せあっているような一体感、というのは固定バンドでなければ絶対に生まれなかっただろうと思うし、それが見ている人に伝わるようなライブができたことで、いよいよシトロンとして有終の美を飾るのに相応しいところまで来てしまったな、と実感したのだ。本当に終わりが近いんだな、と思うとなんだか少し寂しさもあったがシトロンがラストの瞬間を迎えた時、どんな姿を見せるのかということが掴めるところまできたことは喜ばしくもあった。

 

そして、引退ライブ。1人1曲やりたい曲をやって引退しようということで曲を決めた。なので、当初は5曲やる予定だったのだが、忙しくて1曲は泣く泣く削ることになった。削ってしまったのは植山が挙げたCOSMIC BOX/YUKIである。この曲、2年の夏頃からずっとやりたいと言い続けて温めてきた曲だったのだが出来ずじまいだったので復活ライブまで持ち越しになるのだろう。引退のエモエモセトリは以下の4曲である。

 

・幸せじゃないから死ねない/アカシック→中田

君は薔薇より美しい/布施明→ぱいせん

・私生活/東京事変→こうくん

群青日和/東京事変→黒木

 

なんとなく誰がどの曲を挙げたのか、プロのサークル員なら分かったかもしれない。この引退ライブに関しては27日にやったあのライブが全てだ。史上最高に「楽しく」ライブができたし、それは楽器隊の演奏からも明らかに伝わってきた。部室練の時にはなかった気迫のようなもの、一体感、そういうものがあの時の演奏に全て込められていた。

 

 

特に、群青日和を演奏する前に私が言った、

「引退前最後のシトロンをその目でしかと焼き付けろって感じですね」

というセリフ、かなりふざけたことを言ってんなコイツ、と思われたかもしれないがあれは誇張でもなんでもなく本心から出た言葉である。あの群青日和を見て何か感じてくれた人が一人でもいれば、本望である。

 

ただ、引退ライブに関してもう一つ語りたいことがある。こうくんのことだ。ご存知の通りこうくんは忙しいリコキャンの民でありながらバンドサーを複数兼サーしており、コナ以外でライブをやる機会がたくさんあった。ドラム、バンドへの熱意は誰よりも強かったし、かなりストイックに音楽と向き合っててすごいな、と常に感心していた。だからこそ、私はこうくんが一番怖かった。もう少し正確にいうと、音楽に真剣なこうくんにとって、シトロンはどんなバンド、居場所だったのだろうか、と。それを知るのがずっと怖かった。たくさんバンドを組んでいればそれだけ音楽を表現できる居場所が多いことを意味しているし、それらを比較することだってできてしまう。こうくんは多くを語る人ではないから、何を考えているのか全て掴みきれないことが多かった。シトロンでドラムを叩く時、何を考え、何を感じているのか。固定を組んだことを後悔していないか、なんてことをかなり長期にわたって思案していたのだ。

 

でも、この答えは群青日和の演奏で全部知ることができたと思っている。青く燃えてゆく東京の日、とラストのフレーズを歌いきって後奏を聴きながら、もう終わってしまうんだな、なんて思いながら演奏しているメンバーの姿を目に焼き付ける。ギターを弾くぱいせん、キーボを弾く中田、ベースを弾く植山。そして、最後にくるりと振り返りドラムを叩くこうくんに視線を送る。その瞬間、息が一瞬止まった。今まで、私は冷静かつ正確にリズムを刻むこうくんしか見たことがなかった。それは早稲田祭の時ですらそうだった。が、その時私が見たのは全身全霊、感情を込めてドラムを叩くこうくんの姿だった。楽しそうな笑顔を浮かべながら、残りわずかな演奏に全てを賭けて叩いているのを目にしたあの瞬間が一番「あぁ、引退ってこういうことなのか」と実感し、目元が潤んだ。きっと、どのメンバーもシトロンに愛着があったんじゃないかな、と最後の最後に思えたし、それが本当に愛おしかったのだ。

 

 

ステージを降りると、たくさんの人が温かい感想、言葉をかけてくれた。そして、飲み会では嬉しい寄せ書きがいっぱいのアルバムもいただいて、3年間シトロンとしてやりきってよかったな、と心の底から思えた。

 

そして、帰りの電車で中田からもらった手紙を読んだ。キーボで固定を組めるとは思っていなかったことやバンドが楽しくて2年の途中で吹奏楽をやめ、コナ一本に絞ったことが書かれていて、そんなこともあったなぁと懐かしくなった。バンドが楽しい、と思えたきっかけがシトロンだったのが嬉しかったし、中田がいたからこそシトロンのカラーが生まれたと思っているのでシトロンを語る上で欠かせない存在だったなぁと改めて認識した。シトロンの代名詞とも言える事変もアカシックaikoCymbalsも、キーボの中田がいなければやることはできなかった。シトロンの可能性を広げてくれたのは他の誰でもない、中田だった。バンドメンバーという関係にとどまらず、いろんなところに気軽に遊びに行ったり美味しいものを食べにいくことが多かったし、価値観、考え方も共感することの多い一人の貴重な友達として仲良くできたことも、コナに入ってシトロンでバンドを組めたからこそだと思っている。バンドはしばらくお休みになるが、いつでも遊びに行きたいし就活が終わったら今度こそ旅行をするしかない。この場を借りて手紙の返事としよう。笑

 

……と、こんな感じで無事にサークルから引退したが、これで終わりではない。1年後の早稲田祭に望まれなくても復活する気満々だし、ライブも見に行きたいな、と思っている。なんなら永遠に不潔な銀魂バンドのために企画ライブに顔を出すまである。ぜひ疎まず温かく受け入れてほしい。

 

このブログで言いたかったことは、エモい!!!!!の一言に尽きます。こんな感情の勢いだけで書き進めた駄文をここまで読んでくれてありがとうございました。