ぽぷ雑記

めちゃくちゃ不定期に更新する。近況報告がメイン

拝啓 ありふれた景色がやっといまざわめきだす季節、

コナハワイアンズ様におかれましては、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

先日は、私たち53代の大学卒業に先立ちまして、コナハワイアンズ追い出しライブの場を設けてくださり、誠にありがとうございました。

コナを追い出されてから4日経過しました。

コナハワイアンズ KONAHAWAIIANS

2019年3月18日、コナハワイアンズ53代は晴れてサークルを追い出された。

今日は22日なので追い出されて4日経過したのですが……びっくりするぐらい実感がない。

なんなら去年の引退ライブ当日の時の方がよほど涙腺にきたんだけど、なんでだろう。

 

どこかで「その気になれば会えるし、バンドだってもしかしたらまたできるかも」という思いがあるのかもしれない。引退の時がそうだったからだ。

 

しかし、頭では分かっている。春になればバンドメンバーをはじめ、同期は各々違う道を歩むことになり、一気に違う世界で生きていくことになる。

 

学生の今とは違い、気軽に顔をあわせることが難しくなることは容易に想像がつくし、そんな状況でまたライブに出られるように予定を合わせて練習をする、というのはとても壁の高いことのように感じる。

そもそも、私自身も新しいことと出会うことでバンドへの関心が薄くなることだって十分あり得る。

もっと言ってしまえば、数日前のあのライブが人生最後のライブだったのかもしれないことだって分かっていたはずだ。

 

それでもこんなにけろっとしているのは、まだ現実感を覚えてないからだろうな。

 

追い出されは正真正銘サークル、固定バンドからの卒業であり、その瞬間からバンド生活は過去の思い出としてのみ自分の中に残る」ことを現実的に受け入れられた時に初めて、私は二度と戻ってくることのない、奇跡のような4年間の記憶をしつこいくらいなぞるように反芻し、ホロリとしてしまうのだろう。

 

mth-black.hatenablog.com

 

さて。

 

上にも貼っている通り、私は引退ライブのあとにシトロンで過ごしてきた3年間に重点を置いた、心情吐露とサークル現役生活の振り返りをしている。

さらに、追い出し当日のMCでも触れた通り、今回私はバンドメンバー一人一人に対して1時間以上かけて思いをしたためた愛の重い手紙を書いて渡している。

 

なので、今回はもう特段ブログを更新してまで語ることはないと皆さんお思いかもしれない。

 

……否!そんなことはない。

 

やっぱり、引退と追い出されでは意味合いが全然違うし、なによりもライブを聴いて・演って感じたことが全然違った。

 

正直、サークル卒業した!!寂しい!!。゚(゚´ω`゚)゚。みたいな感情はまだ自分の中には生まれてないのでお涙頂戴の激エモ記事になるかはわからない。

 

でも、今回の記事では追い出されライブの時に確かに感じたことを残したいのでまた一人でつらつらと語るように書こうかと思います。

 

 

同期へのエモが爆発するラストライブだった

まず、何よりも追い出されライブで感じたのは同期に対するエモさだ。

田中の弾き語りとミンティアの伝説のラストライブはどちらも最前で見守っていたが、なんだろう、すごく胸が熱くなって涙腺が緩みそうになった瞬間が何度もあった。

 

例えば田中が優しそうな表情で、でも貫ぬくような視線でこちらを見ながら歌っていると思いきや少し声が震えていることに気付いた時とか、ミンティアの楽器隊が本当に楽しそうに空くんを見守っている時とか。

かとあやがMCで、その場に立ち会うことができなかったのらくらに対して感謝を述べた時。

ココアシガレットを咥え、缶ビールを呷る空くんの一挙一動には53代のトリを背負うに相応しいオーラが纏われていたり。

 

バンドからの卒業って、こういうことなのね。

 

刻一刻と迫るラスト一曲に向けて皆がそれぞれの感情を胸に抱いて丁寧に楽しそうに、時に大胆に演奏し、歌う姿にはこれまでの4年間の軌跡が手にとって見えるようで愛おしかった。

 

私自身もやはりライブ中にエモを感じた。

知っての通り、追い出されの時はいつも以上に楽器隊の方を派手に何度も振り返って見ていたのだが、その時に中田が少し笑っているように見えたし、何度か目があった。

実は中田とライブ中に目が合うのはこれが初めてだった(中田に限らず楽器隊と目が合ったこと自体初めて)(川島のことを散々ガン見してたのに目があったことはない)(追い出されの翌日に川島からそのことを指摘されて草)(目が合うと照れて動揺して歌詞が飛びそうだったので合わないようにしていた部分はある)

普段中田は真顔で一生懸命鍵盤や譜面を見ていて、柔らかい表情でキーボを弾いている姿を見たのは初めてだったので少しグッときてしまった。

植山が時折浮かべる楽しそうな表情だったり、珍しく走り気味なドラムから伝わってくるこうくんのラストライブに賭ける思いに私もワクワクしたし、1曲目のみずいろからボルテージMAXでギターを弾いてくれた川島もアツかった。

 

楽器隊の楽しそうな姿を見てしまったもんだから、ライブ中は「これで終わっちゃうんだ、寂しい……」といったしんみりとした気持ちは本当になく、「めちゃくちゃ楽しい!!!!!」という単純な感情だけが頭の中を占めていた。

 

多分、あまりにも最後まで楽しい気持ちのままでやりきってしまったから未練なくシトロンを完結させることができたんだと思う。

だから追い出されて数日経った今も、エモさは感じれど、寂しさや喪失感がほとんどないのだろう。

シトロン完結の瞬間まで幸せな形で迎えられて本当に恵まれている……。

 

こんなに同期へエモを抱けたのは、4年間いろんなことがありつつ最後まで平和に過ごせてきたこともあるし、同期バンドはそれぞれのメンバー以外での結成ではありえなかったということを答えあわせのように一つずつ見届けることができたのが一番の理由だろう。

 

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無色のラストライブは結果的に早稲田祭になってしまったが、あのばちばちごりごりの強いメンバーに囲まれた田中が全身で楽しそうに歌うことが無色たらしめていたし、

 

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ミンティア(MASK)も空くんの歌に惚れ込んだファンが楽器隊として集ったメンバーだったからこそあのエモくて素敵な雰囲気が醸成されたんだな、というのが演奏、MCの全てから伝わってきたのだ。

 

シトロンも同じだ。

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ラストライブ後、楽器隊からいろんな言葉、いろんなタイミングで「シトロンがこのメンバーでよかった」「シトロンのボーカルが黒木でよかった」と言ってくれた。

私もそれぞれへの手紙に、シトロンのメンバーとしてギターを、ベースを、ドラムを、キーボを演奏してくれて嬉しかったしこのメンバーでのシトロンしか考えられない、ということを伝えていたので晴れて相思相愛なことが最後に確認できてとても嬉しかった。(?)

 

 

そして、同期のエモで語る時に欠かせないのは唯一の同期女ボーカルの田中だ。

引退の時もさらっとしか触れてないのでこの場でしっかり書かせてもらおうと思う。

 

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引退ブログでも少し触れたとおり、私は田中のことを声質やらキャラやら振る舞いやらが自分とは全然違うボーカルだからこそかなりライバルのような存在として意識したり、悩んだ時期があった。

 

しかし、犬猿の仲ではなく、心の中に密かに燃やす気持ちはあれどお互い仲の良い関係を築き、4年間を過ごしてきた。

 

それは、田中のことをボーカルとして、同期として、1人の友人として尊敬できたからこそ成り立っていた、絶妙なバランス関係だったと思う。

 

実は出順の関係で、これまでのライブで私が無色のライブをしっかり全部見られたことというのはそんなに多くない。

録音が出たら欠かさず聴いていたが、そんな事情もあり最後のライブは1秒たりとも見逃さず、目の前で聴かないと、と決めていた。

 

だからラストの弾き語りは、私は最前で見ていたし、田中の動画も撮っていた。

無意識のうちに私は田中に「動画撮ろうか?」と聞いたのだが、「これまで刃を交わし続けた戦友を最後の最後にねぎらい、称え、見届ける」気持ちからのものだと今ならわかる。

 

そんな田中が追い出され二次会のムーンウォークで私に話しかけてきた。

が、その時彼女はすぐに涙がこぼれそうになったのか言葉が詰まってしまい、私は落ち着いたら伝えてくれればいいよ、と促した。

 

直接聞けなかった言葉を日付が変わって家についた深夜、彼女は改めて伝えてくれた。

 

「私は同期唯一の女子ボーカルが黒木でほんとうによかったなって思っていて。

黒木は人の気持ちをよく察すしすごくよく考える人だけど、感情<論理のいつでも冷静な人で、だからこそ私もちゃんとボーカル、ライバル、戦友として4年間向き合ってこれたなあと思ってる。

まじめで誠実で、優しくて冷静な黒木がその相手だったことは宝物だなあってことを伝えたかった」

 

「私、ライブ見ててシトロナイズされたCOSMIC BOXでシトロンのボーカルが黒木でほんとよかったなって。

私ら、『(シトロンと無色の)ボーカルが逆だったら…』、とかネタでもややガチでも最初の頃そこそこ言われてたのを思い出して。でも、全然そんなことなかったなって。」

 

あぁ、私だけじゃなかったんだ、と。

田中も私のことを同じような存在として見てくれていたんだなって。

そして、そんな田中からもシトロンのボーカルが黒木でよかった、という言葉を貰えたのはこの上なくありがたかったし、私のことを1人のボーカルとして認めてくれていたんだ、と思えたのだ。

 

シトロンと無色のボーカルは逆の方が、という話は田中に言われるまで忘れていたが確かにそういうこともあったな、と懐かしくなった。

その話は私も何度か耳にしていて、そのたびに複雑な思いを抱いていたのだが、今なら笑い飛ばせる。

 

いやいや、何を言っているんだと。

シトロンのボーカルは私じゃないと務まらないし、無色のボーカルは田中以外お呼びではない。これまでのライブがその証明だ。

 

きっとこれは私達以外の同期はもちろん、後輩もそう思ってくれるに違いない。

 

……こんなに同期に対してストレートな言葉で語れるのは、追い出されが最初で最後だろう。

 

53代は皆穏やかで優しくて一緒にいて気楽だったのでとても大好きだ。

しばしばその平和さから奇跡の代、と自称していたがあながち間違いではないだろう。

 

ぜひ、この一緒に過ごしてきた4年間を

 

「忘れないで零さないで そっと握りしめて

 

ポケットの中に潜ませて そして今日も連れてってよ」

 

という気持ちでいる。

 

卒業してからも会いたいなと、心の底から思う。

 

出会いと別れの繰り返しでコナは変わってゆく

そしてもう一つ。当たり前ではあるが追い出されライブは引退ライブとは全く違う門出なんだな、と改めて実感した。

 

コナハワイアンズでは2度、サークル生活に区切りをつけるタイミングがある。

1度目が3年冬の引退ライブ、そして2度目は4年春の追い出されライブだ。

 

引退ライブを境に本当にそのままサークルにあまり顔を出さなくなる人もいるが、基本的には4年の夏、秋頃にはバンドとして復帰する。

なので、形式上3年で引退とは言いつつ4年生も”現役”のサークル員として受け入れられているように思う。

 

じゃあ、引退ライブと銘打って一区切りつけなくてもいいのではないか、そこまで大々的な位置付けにしなくてもいいのではないか、と思うかもしれない。

しかし、ご存知の通り引退ライブの一番大きな意義は「幹部交代・世代交代」だ。

 

サークル運営を中心となって担う代を交代するための機会が引退ライブであり、いわばそのライブを完遂させることではじめて幹部代はコナを無事に一年間守り抜き、次の代に引き継ぐことができたと胸を張れる。

そして、引退前最後に見せたその姿が新幹部への鼓舞となりプレッシャーとなり、新しいコナの歴史を紡ぐための土壌になると思っている。

 

なので、どちらかというとこの区切りでは寂しさというものよりも達成感による感慨深さの感情が強く出るだろう。

 

私自身、引退ライブの後に感じたのは

「3年間という一区切りの段階で、自分がシトロンを通して成長できたこと・他のメンバーもシトロンに愛着を持っていることが実感できたことに対する感情の昂り」であり、流した涙も寂しさではなく一種の嬉し涙のようなものだった。 

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それに対して追い出しライブは「4年間のサークル生活に幕を閉じる」ために存在する。

かつてコナに在籍していた伝説の固定バンド、先輩たちも例外なく大学卒業を目前に控えたタイミングで固定バンドとサークル活動に別れを告げてきた。

それは無論、3月がそういう季節だから仕方ないのだ。

 

春は出会いと別れの季節で、別れがあれば当然出会いもある。

 

4月になると早稲田にはたくさんの新入生が入学してくる。そして、キャンパスは新歓によって活気溢れる場となり、多くの人、サークルとの出会いが生まれる。

コナでも昨年末引退した54代幹部が中心となって行われた新歓が大成功を収め、1年生がたくさん入ってきてくれている。

その1年生たちもあと数週間で2年生となり、新歓する側になって新しいサークル員を迎える立場となる。(時の流れが早くて本当にびっくりする……。)

 

そう、季節の移り変わりとともに私たちを取り巻く人も居場所も環境も、何もかも少しずつ着実に変わってゆく。

「全く同じまま」はありえないのだ。

 

コナの場合、12月に新幹部が誕生し、3月に4年生を追い出し、4月に新しいサークル員を迎えるというステップを踏むことで次第に新しいコナへと変貌していく。

旧態依然とするのではなく、新しい風を入れて前に進んでいくことがサークルの発展には欠かせないのだ。

 

記事タイトルにも引用しているが、ただならぬ関係で歌った通り

 

「ありふれた景色がやっといまざわめき出す」

 

というのはまさにこれらのことをすごく綺麗に表現しているな、と思っている。

 

ただし、新しく変わっていくコナにはそれまでの面影を少しも残すことができないのかと言われるとそういうわけではない。

 

新幹部である55代はまさに私たち53代が新歓した代にあたる。

 

私たちがコナを完全に去っても、53代が自信を持って新歓し、迎え入れた55代がサークルを責任持って守っていく幹部としてさらに盛り上げてくれるに違いない。

 

55代幹部が創り上げていくコナは、54代幹部、53代幹部が創ってきたコナとはまた違うサークルになっていくだろう。

でも、その変化の根底には「より良いサークルにしよう」の思いが存在するだろうし、その思いの一部に私たちをはじめ先代の背中から学んできたものが少なからず蓄積されていると信じている。

 

私は幹部代だった時、なんの役職にも就いていないヒラサークル員だったのであまり偉そうなことは言えないが、きっとサークルが何代にもわたって守られ、受け継がれていくというのはこういうことを指しているんだと思う。

 

だから、4年間を過ごしたサークルから去る今、ちょっとした切なさを感じつつ、それ以上に私の知らない新しいコナに変わっていくのが楽しみな気持ちもある。

 

今の私の心情は再びただならぬ関係から抜粋すると

 

「涙なんて流さないで 幸運を祈るわ」

 

なのだ。当然、サークルを去る私たちが一番喪失感やら寂しさを覚えるが、残されるサークル員側にも似たような気持ちを抱える子はいると思う。

シトロンのラストライブも、何人かが涙を浮かべながら見てくれていた。

また、ライブが終わった後に直接感想を伝えてくれたり、ラインで気持ちを伝えてくれた後輩も複数人いた。

自分たち以上にシトロンの最後を惜しみ、涙を流してくれる存在が出来たのはすごくありがたいことだ。

 

でも、4月になると私たちのライブを聴いてくれていた後輩たちは、学年が上がることでより一層「後輩に憧れられ、目標とされる存在」になっていく。

 

もし私たち53代のラストライブが後輩たちへ何か刺さるものを残せていたとしたら、きっとそれは彼ら、彼女らの固定での成長、バンドやメンバー、そしてサークルとの向き合い方に対するちょっとしたヒントになるかもしれない。

 

私たちが後代に残した要素が、残された後輩の手によって新しいコナの要素と融合したその時。

 

各々の固定バンドでのライブが、無色やミンティア、シトロンが生み出してきたものとは違う、新しい感動や感情の揺さぶりを創り出すと考えると、この別れも存外悪いものではないと思えるのだ。

 

これからコナはどんな固定バンドサークルになるのか。それをサークル員として見守ることはできないけれど、早稲田祭のような機会があればちらっと覗いてみたいなと思うし、そう自然と思えるような4年間を過ごせたことを改めて嬉しく思う。

 

末筆ながら春草萌えいずる好季節、コナハワイアンズ様の更なる飛躍を心よりお祈り申し上げます。

 

どこかでまじわって遇えるかもね。

またあなたに会えるのを、楽しみに待ってさようなら!

 

敬具

 

平成31年3月22日

ぽぷ華

コナハワイアンズ53代、54代、55代、56代様