マッチングアプリで彼氏彼女を作るには?彼氏ができた体験をもとに解説
こんにちは。ぽぷ華です。
今回はついにこのテーマでブログを更新しようと思います。
そう。マッチングアプリ。待たせたな、皆の者。
何を隠そう、リアルでの恋愛で苦戦・連敗続きだった私は大学3年の頃から戦いの場をアプリに移してからというものの、アプリ経由で出会ったメンズと付き合うようになった(隠すまでもなく周知の事実)。
表立って「使ってます〜!」と公言する人はまだ多くないように感じるが、着実に恋活・婚活市場で市民権を得てきているマッチングアプリ。
「マッチングアプリって結局出会い系でしょ?怪しい…」
「アプリからの出会いってうまくいくの…?」
という声が根強く聞かれる一方、
「身の回りで使ってるとか実際に彼女ができたって話、ちょくちょく聞くし正直どんなものなのか気になる」
「実は密かにアプリを使いたいと思っているけど、どうやって使えばいいか分からない」
という相談の声も何度か寄せられた。
そこで今回は私がアプリを使用して実際に学んだノウハウを余すことなく、全てこの記事で解説しようと思う。
本当ならnoteで500円くらいにして売っても良かったのだがあくまで私一人の見解に値段をつけるのはおこがましいのと、マッチングアプリをもっといろんな人に使って欲しいという気持ちがあるので完全無料公開だ。太っ腹〜!
もし良いなと思ったらぜひSNS等で拡散してくれると嬉しい。
「あったわ〜〜!わかる〜〜!!」みたいな経験者の声とともに紹介してくれると泣いて喜ぶ。
これまで私に質問してくれた方はもちろん、直接誰かに相談するのは憚れると感じていた人もプライバシーを守った上でアプリの勉強をすることができるだろう(?)。
アフィでも業者でもない、リアルな一利用者の視点からアプリ活用の術を解説するのでおそらく世に蔓延るマッチングアプリ比較記事の5000000000000000000000000000倍有益な情報をお届けできる自信がある。
この記事は下記に当てはまる人におすすめの内容となっている。
・マッチングアプリ初心者のガールズ、メンズ
・どのマッチングアプリも同じでしょ、と思っているガールズ、メンズ
・プロフィール作りに悩んでいるガールズ、メンズ
・質の良い「いいね!」をもらうのに苦戦しているガールズ、メンズ
・マッチングした後、どうするのがいいのか分からないガールズ、メンズ
・どのタイミングでネクストフェーズ(LINE、デート)に移行していいか分からないガールズ、メンズ
・ぶっちゃけアプリでの活動はどれくらい続けるのが妥当なのか分からないガールズ、メンズ
・マッチングアプリきっかけで付き合うってどうなん?と思っている全人類
この記事では一例となるが私の実例を交えながら一つずつ解説する。
目次を設けるので興味のある項目だけ読んでもよし、順に読んでマッチングアプリへの理解を深めても良い。
この記事があなたの恋活・婚活ライフの一助となれれば幸いだ。
※この記事の見解は全てぽぷ華の体験によるものであり全ての人に合致するとは限りません(重要)
- 筆者自己紹介:出会う機会がないなら作ればいいじゃない。マッチングアプリを活用して彼氏と出会うことに成功
- マッチングアプリを使って恋人を作るには向き・不向きがある
- Pairsは「真面目で落ち着いた雰囲気」な人が多く、withは「若くてイマドキ」な人が多い傾向
- 真面目に相手を探すのであればプロフィールは時間をかけて設定すべし
- 男性は無料いいねも最大限活用し、女性は狙いを定めていいねするのが吉
- マッチングはスタートライン。マッチング後に苦戦するのは何故か
- LINE交換、ご飯へのお誘いなどのタイミングは相手の温度感が全て
- アプリでの出会いも縁が全てなのですぐに見つからなくても焦る必要は皆無
- きっかけが日常生活なのか、友人の紹介なのか、アプリなのか。付き合ってしまえば同じ
筆者自己紹介:出会う機会がないなら作ればいいじゃない。マッチングアプリを活用して彼氏と出会うことに成功
そもそも、この記事を書いている私がどんな人なのか分からないと内容も半信半疑に感じるだろうからまずは簡単に自己紹介と実際にアプリを使っていたという証拠をスクショと数字を交えて提示しよう。
(いつか記事にする日が来るだろうと思ってアプリを使っていたときの様子をスクショしていたコンテンツ力は自分でも褒めたい)
▼ぽぷ華(23)
社会人2年目。大学卒業後、web業界で働いている。いつまでたっても喪女精神が抜けない。ネットのオタクが恋愛トークをする上で欠かせないハニホーの恋愛免許証では以下のような結果が出る。なんとなく言いたいことはわかる。
随所から学生時代にモテた記憶がない理由が垣間見える。つまり、可愛げがない。これは致命的である。
(リアルで苦戦連敗続きなのに連戦連勝とはこれいかに)
▼マッチングアプリデビュー
大学3年生(21)。当時属していたコミュニティではもう恋愛に発展するような出来事も新しい出会いもないと悟る。インターン先の社長に勧められ、クリスマス前の寒さが独り身に沁みる季節にマッチングアプリの門戸を叩く。
▼使用したことのあるアプリ
Pairs(マッチングアプリデビュー戦)、with(直近)の二大巨頭アプリ。
各サービスの「登録すればこんな幸せな未来が待っているんですよ」感溢れるビジュアル戦略は藁にもすがる気持ちでこのページにたどり着いた淑女紳士の胸を踊らせるに違いない。
画像引用:Pairs(ペアーズ) - 恋活・婚活マッチングアプリ
画像引用:with(ウィズ)運命よりも、確実な出会いを。性格診断や共通点で出会いを探せる恋活・婚活サービス
▼いいね数/マッチング数/出会った人数/使用期間
デビュー戦Pairs→いいね100後半/マッチング10人くらい→継続的なやりとりは5人くらい。会ったのは1人。1ヶ月で退会。
直近with→いいね800くらい/マッチング10人いないくらい→継続的にやりとりをしたのは2人。会ったのは1人。2週間くらいで退会。(正直どっちも他の人と比べても退会までが爆速)(賛否両論を生み出すスピーディークロージング)(敏腕営業マン)
「埼玉実家暮らし学生」と「都内一人暮らしOL」というステータスの違いが一番大きいと分析しているが、こいつ、デビュー戦から大きく進化してやがる…ッ!
詳しいことは後述するが、私の場合はいいね→マッチング段階でかなり絞り、会うのは一定以上の好感度がありかなり興味がある人だけ、という方針でアプリを活用していた。
そのため、マッチングアプリの醍醐味である複数のメンズと同時進行で出会い、実際に遊んだり話してみてから徐々に絞って選ぶ、という経験はしていない。
このアプリ活用の戦略も使う人の向き不向きに合わせて選択するのが良いと思っているため、おいおい話そうと思う。
不特定多数が見る場なので普段はフリー素材を謳っている自分の顔写真だが念のためこの記事内では後ろ姿の掲載にとどめる。しかし、出会いの機会も恋愛経験も乏しかった自分がアプリで恋人を作れたのは決して絶世の美女だから、とか、男ウケのいいスペックを兼ね備えているから、とかではない。(むしろ敬遠される要素が多いと思っている)
アプリという場を経由して出会う時の基礎を押さえれば誰もが出会いのチャンスを得られると私は確信し、このブログを更新したというわけである。
さっそくアプリを使って彼氏彼女を作るために知っておきたいことを解説したいところだが、アプリを使う前に一つ知っておくべきことがあるのでまずはそこからお話しよう。
マッチングアプリを使って恋人を作るには向き・不向きがある
記事冒頭部分で「アプリという場を経由して出会う時の基礎を押さえれば誰もが出会いのチャンスを得られる」と話したが、これには大前提があるということをまずは触れておく。
実はこの章がマッチングアプリを使うにあたり一番大事なのではないかと思っているため、少々しっかりめに書く。
何事もメリットデメリット、向き不向きがあるようにマッチングアプリは万人向けのツールとは言えない。これは自分はもちろん、周囲のマッチングアプリの実体験を見ていて得た結論である。
アプリきっかけの恋愛の特徴として、「赤の他人」相手に恋愛関係に発展してもいいかどうかをジャッジしながらコミュニケーションをとることがベースになるという点が挙げられる。
マッチングアプリはその性質上、ファーストコンタクト〜ある程度互いがどんな人であるのかを把握するまでの手段がテキストでのコミュニケーションとなってくる。
日常生活の中で発展する恋愛感情の場合、リアルで対面しながら相手やその周囲の人々との関わりや出来事の中で次第に相手への興味関心が湧いたり好意を抱くだろう。
その点、マッチングアプリは相手への印象を大きく左右する出会い初期で好感度を育むための情報量との接触機会が日常生活での出会いと比較し不利である。
しかも、「赤の他人」相手に付き合いたいかどうか、を判断するために必要な情報量は少なくはないはずだ。すると、アプリ経由で知り合った相手とは「衝動的な一目惚れ」でマッチング後即交際!というよりも自然と継続的なコミュニケーションが必須かつ重要な判断要素となる。
……そう、この「継続的なコミュニケーション」こそがマッチングアプリ適性の有無を判断するための基本にして最大の要素となってくる。
私の大学時代の友人もマッチングアプリを使って可愛い彼女を作ったという成功事例を生み出している。一方で「ぽぷ華が使ってるから私も試しに入れてみたけどよくこれで付き合うまで持っていけたね、私は無理かも」と、アプリを使うのに苦戦している人も一定数いたのが事実だ。
その両者の間にある大きな違いが継続的なコミュニケーションへの耐性だったと私は思っている。
「テキストでのやりとりは苦手だし、会ってみないと分からないことの方が多いしマッチングしたらまずは会いたい」
「会ったこともない人相手に何をそんなにメッセージで話せばいいんだ?」
という考えの人ももちろんいるし、それはごもっともだと思う。アプリに苦戦している人の多くはこの考えを持っている傾向にある気がする。
マッチングしたらとりあえず会いたいと自己紹介文に明記している会員も実際にいる。
しかし、この当たり前かつ明快な考え方がマッチングアプリ上ではマイナスに働いてしまうこともあることを認識して欲しい。
というのも、マッチングアプリに登録している人は世間一般の人が思う以上に遊び目的(純粋に話し相手が欲しい、ワンナイト目的など)が男女ともに少ない。(中には承認欲求を満たすためだけにいいねを集めるような会員もいるが…)
熱意の差はあれど「彼氏彼女が欲しい」「結婚を見据えたおつきあいがしたい」という目的のもと真面目に活動している人が多く、「アプリでの出会い」に完全なるクリーンなイメージが根付いていない現状、相手に「遊び」と勘違いされたくないが故にどうしても慎重なコミュニケーションを取る傾向にある。
裏を返すと相手側のコミュニケーションに対しても同様に敏感になっていると言える。
「あくまで自分は真面目に活動しているから遊びの相手に引っかかることだけは避けたい」という気持ちが強いのだ。
つまり、気になる人を探してマッチングするところまではアプリを主軸にし、マッチングした後はリアルで勝負してぇ!と考え、ファーストコンタクトで
「てかどこ住み?LINEやってる?会おうよ(笑)」
などと送ってしまうと、そのつもりがなくても「この人は真面目にアプリを使っているわけじゃないのかも…」と敬遠され、フェードアウトされる恐れが非常に高いのだ。
また、元からテキストベースのやりとりが得意ではないからといって、普段のLINEのような感覚でやりとりをしてしまうのも危険だ。無論、それはマッチングアプリにおけるやりとりは互いの素性を知るための重要な手段であるからだ。
あえて直接的な表現をすると、見ず知らずの相手に対し時には形式的で中身がないと思われる茶番的やりとりを半ば義務的に交わしつつも、「この人と会ってみたいかも!」と思わせられるようなコミュニケーションをアプリ上から得られる情報(自己紹介やコミュ・好みカードなど)を最大限に生かして展開し、継続的にやりとりすることが苦でない人はマッチングアプリで無双できるだろう。
出会いの場がアプリであろうと日常生活であろうとコミュニケーションの重要性は変わらないということだ。(コミュ障の私が偉そうに言うことではない)
マッチングアプリに向いている人の特徴をさらに詳しく見ていく。
マッチングアプリで彼氏彼女を作れる人の特徴①マメな対応ができる
「継続的なコミュニケーション」を取れる人=マメな対応ができる人だろう(もしくは付き合うまではそのような対応を取ることができる。「釣った魚に餌はやらない」の良し悪しは話が脱線するので割愛)。
マメな対応というのは何も四六時中相手のやりとりに張り付いて返事をしろ、というわけではない。むしろ、仕事が忙しくプライベートでの出会いがないからアプリを使うという人が多いのでそういった対応ができる人はごく少数だ。
具体的にはマッチングした人とのやりとりに対し、そこそこ本気で狙いたい人であればどんなに忙しくても1日に1回は仕事が忙しくて返事ができないことを謝りつつ誠実に返す、可能な時はテンポよく会話を繋げることをこなすことが重要になる。
特に女性会員の場合は男性と比較してマッチング数が多く、同時進行で複数の会話を進めることがほとんどだ。
この時、「この人、ちょっと気になってたけど数日に一回短文の返事が来るだけで会話の温度感も合わないな〜、他にまだ良い人いるしこの人はもういっか」…と思われてしまったが最後、いとも簡単に見切りをつけられるのがマッチングアプリの世界だ。
仕事が忙しくてなかなか返事ができない、もともと連絡不精でそういうやりとりに慣れていないということは責められる事項ではないし、それを理解してくれる人も大勢いる。
だが、「赤の他人」スタートであるマッチングアプリだからこそそういった場面においてマメな対応ができるがどうかで自分への評価が大きく変わってくるということを肝に銘じておくといいだろう。
苦手なりに頑張ってやりとりしてくれている様子や、本当に忙しいながらも時間を割いてくれてることは案外、何気ないメッセージ一つからでも伝わるのでいずれかに該当する人でも心配しすぎる必要はない。
ちなみに、リアルで恋愛の成果をあげることができなかった私がマッチングアプリでうまく事を運べたのはこのマメさが一番大きいと感じている。
人見知りでコミュ障の私は初対面の人相手に会話をするのがかなり苦手だ。しかし、アプリであれば文章での会話になるため適切な返事を慎重に考えて送ることができるし、マメなやりとりが苦ではなかった(形式的なやりとりに虚無になることはもちろんあったが)。
そのおかけでメッセージのやりとりの質はかなりよかったと自負しており、そこが自分に興味関心を持ってくれるきっかけとしてうまく作用していたと考えている。
実際にやりとりしていた人から「こんなに丁寧にキャッチーボール式の会話ができる人がアプリだと本当にいないのでそれだけで好感度あがる」と言われたこともあるため、ぜひこのマメさの重要性だけでも覚えて帰って欲しい。
マッチングアプリで彼氏彼女を作れる人の特徴②異性に対する理想やこだわりが強すぎない
これまで話してきた方向性とは少しずれるが 、マッチングアプリを使用して相手を探すとどうしても理想が高くなってしまう人がいる気がする。
その原因が「検索機能」だ。
マッチングアプリをオススメする理由の一つに、効率的に気になる異性を見つける機能が充実していることが挙げられる。(表現の是非は置いておく)
検索機能で設定できる詳細な項目はこの後の章で記すが、かなり細かく設定して検索することができるため、膨大な会員の中から自分の理想に近い人を探すことができるのだ。
ただ、人間とは欲深いもので、「この条件で当てはまる人が○人もいるならもう少し高みを目指そう」「これだけ人数がいるアプリならいつかドンピシャな人が見つかるかもしれない」「条件に合致していてなおかつ顔が好みな人がいいな〜」など、どんどん相手に求めるハードルが高くなってしまいやすくなるのがマッチングアプリの落とし穴だろう。
もちろん、せっかくアプリに登録したのであれば最大限に検索機能を生かしてタイプの人を見つけるべきだが、普通の出会いと同じで完璧な人と出会うのはアプリでも簡単ではないし縁があって初めて成立するものなので条件面ばかりを重視しているといつまでたっても退会できなくなる。
アプリで出会う場合、「どうしても譲れない項目」は何かを決めておき、それ以外の項目については希望はあれど必須条件にせず、あくまでスペックは参考程度に、やりとりの波長などを重視して相手探しをできる人であれば良い出会いがあるはずだ。
ここで私の話を出すと、マッチングアプリデビュー戦の時は「学歴」、そして「バンド経験者」をかなり重視していた過去がある。
明確な異性のタイプというものがなく、「自分より優れている人・自分にはないものを持っている人がいいな」と思っているのだが、当時の自分にとって一番わかりやすかったのが学歴だった。バンド経験者に関しては自分がバンドをやっていたことに加え楽器ができる人はカッコいいというフィルターによるものである。バンドマンはクソ。
自分が大隈重信大学に通っていたのでそれと同等、もしくはそれ以上の大卒・院卒でバンド経験者に絞って検索し、実際にその条件に合致する人と付き合ったが、付き合ってる時に学歴やバンド経験というスペックを意識するような場面はなかったし、最終的に大事になってくるのはアプリで検索できるスペックではなく人間性にあるなぁと学んだ(付き合ってみようと思えたのも別れを決めたのもそこだった)。
これはリアルでの恋愛でも同じことが言えるだろう。
つまり、スペックにこだわり抜いたからといって幸せになれるわけではないということだ。アプリではスペック部分を重視した検索ができて便利な反面、その意識が薄くなりがちなので注意が必要だろう。
Pairsは「真面目で落ち着いた雰囲気」な人が多く、withは「若くてイマドキ」な人が多い傾向
ここで簡単にアプリの傾向を紹介しよう。
現在、様々なマッチングアプリが存在し、その数は100以上にものぼる。
以下のカオスマップでサービスの多様性が一目でわかるだろう。
画像引用:出会い支援サービス カオスマップ2019 by LoveTech Media | LoveTechMedia - ラブテックメディア
なかでも圧倒的知名度・利用者数を誇っているのがPairsとwithだ。
この二つのアプリについては他の記事でもわかりやすく比較解説されているので私が実際に使って感じた特徴や傾向を基礎データとともに箇条書きで記載させていただく。
ちなみに、どちらのアプリも機能面においてはほぼ一緒なので最終的にはUIの好みや気になる人が多いと感じたアプリを使用するのがいいだろう。もちろん両方・複数アプリを同時進行するのもアリだ。
Pairs:会員数の多さは圧倒的。婚活、結婚を意識した恋活に適している
- アクティブ会員数が450万人以上と国内最大級。
- その知名度から地方での出会いにも強い。地方住みの人はPairs一択。
- 恋活・婚活どちらも◎だが婚活を意識した20代後半〜30代前半がボリュームゾーン。学生や20代前半はwithの方がいいかも。
- 真面目・誠実・堅実という言葉が似合う人が多い印象。(withがチャラいということでは決してない)
- とにかく会員が多いので検索条件をたくさんつけても誰かしら引っかかる。
with:相性の良い相手を見つける心理テスト機能などが楽しい。若い人の恋活に向いている
- メンタリストDaiGo監修の「心理テスト」機能が特徴的。
- 定期的に開催されるイベントのおかげで課金しなくてもいいねがたくさんできる(これは男性にとって嬉しいかも)
- 恋活・婚活どちらも◎だが20代前半の恋活がボリュームゾーンな気がする。
- なんとなく外見はwithの方が可愛い・かっこいい人が多い気がする。イマドキ感がある。(Pairsにももちろん素敵な人は多い。)
- 地味に「人気会員のプロフィールを見る」機能が初心者にとっては参考になると思う。いいねを集めている同性会員がどういうプロフ画像を設定し、自己紹介を書いているのか参考にできる。
- やりとりもしやすいようにアドバイス機能、相手の性格傾向がチェックできる機能があるので親切。
- 私だけかもしれないが性格診断のページが激重すぎるのがイライラした
どちらもベースとして「真面目に出会いを探している人が圧倒的多数」のアプリになるので一般的な恋活・婚活を目的にしたい人であればどちらを選んでも問題ないだろう。
登録しているユーザーのスペックは両者大差ないが、高学歴な男性会員はPairsの方が多かった(大学名をオープンにする人が多かった)記憶があるので参考までに。
※ただ世の中には男女ともに高学歴しか登録が認められないマッチングサービスもあるので学歴特化マンはそういうのを使うのも一つの手だろう。
真面目に相手を探すのであればプロフィールは時間をかけて設定すべし
ここからは実際にアプリに登録してはじめに行わなければいけないプロフィール設定について解説する。
特に男性はこのプロフィール設定をめんどくさがる人が多いのだが、ここで手を抜いてしまうと出会える人にも出会えなくなるので注意しよう。
プロフィール画像の1枚目で勝負がほとんど決まると言っても過言ではない
マッチングアプリは登録されている顔写真と自己紹介の情報を元に「この人興味あるかも!」「話してみたい」と判断し、いいねを送ることになる。
アプリのUIを下に載せるが、会員を検索するときに最初に目にするのが顔写真になる。
画像引用:Pairs(ペアーズ) - 恋活・婚活マッチングアプリ
この顔写真を見てタップされて初めて詳細な自己紹介文にたどり着くため、いかに顔写真で好印象を持ってもらうか・興味を引くかが重要になる。
「は?じゃあイケメン美女じゃないと無理やんけ、解散」
と諦めの声が聞こえてきそうだが、待ってほしい。
顔はもちろん良いに越したことはないが、イケメン美女であってもウケの悪い写真を設定しまえば反応は悪くなるし、逆に顔に自信がなくても良い写真を用意すれば十分戦うことは可能だ。
最初のうちはどんな画像だといいねが来るのか分からないと思うため、定期的にメイン画像に設定する写真を変えていき、感触の良い画像がわかったらそれを固定するのが良いだろう。
感触の良い画像のヒントとして、具体的には次の項目を意識するといいだろう。
中途半端に顔を隠す・顔が見えない写真を設定しない
写真登録が必須とはいえ、やはり誰が見ているかわからないので顔を晒すのが怖い、もしくは顔に自信がないから載せたくないという気持ちは非常にわかる。
しかし、アプリに登録している人たちは皆そこを乗り越えて自分のことを知ってもらうために写真を登録しているのだ。
顔を載せないことは「身元がわからなくて信頼できない」「こちらの顔は相手に伝わっているのに自分の顔は隠すのはフェアじゃない」と、思っている以上にマイナス評価を生み出すことになる。
他人に撮ってもらった写真を設定する
自分一人が映った自撮りよりも他人に撮ってもらった写真の方が「詐欺感」「ナルシスト感」がなくなるので好印象だ。
写真が苦手で他人に撮ってもらった写真がなく、やむなく自撮りを載せる場合は過度な加工は避けたほうが無難だ。
加工は女性の方が多いのかもしれないが、結構男性会員でもsnow的サムシングでヒゲやら耳やら生やしている人が多く、そのような会員は顔の良し悪し以前に「加工でごまかそうとしている精神」に対してマイナスな印象を持たれることが多い。
どうせ会うときに加工のない顔はバレてしまうのだから、妙な小細工はせず真正面から勝負すべきだろう。
外見に自信がない場合は顔を隠すのではなく「笑顔」の写真を載せるべき
とはいえ、顔に自信がない場合はどんな写真を選んでも微妙な気がする…と悩んでしまうのではないだろうか。
なんとなく顔の一部が隠れた写真を使いたくなる人もいるだろうが、先述の通り顔は隠さない方がいい。
類似記事でも言われていることだが、これは笑顔の写真を載せるのが間違いない。
キメ顔、真顔、笑顔であれば自然体な笑顔が一番印象が良く、話しかけやすい雰囲気も出せる。
全身写真は雰囲気で語れるので外見に自信ある人もない人もおすすめ
ちなみに、アプリではサブ写真としてメイン写真以外にも複数の写真を登録することができる。
サブ写真は必ずしも自分を載せる必要はなく、趣味や遊びに行った時の写真などを登録して自分らしさをアピールすることができる。
私のオススメとして、全身の画像は一枚でもいいので載せておくといいと思う。この写真は顔が映っていてもいなくてもどちらでもいい。
全身の写真はその人のファッションの系統や立ち振る舞い、スタイルや雰囲気といった情報を一気に得ることができる。
顔にフィーチャーされた画像よりも全身画像の方が顔の表情を意識しすぎずに写真に写ることで自然な一面を垣間見れることもあるため、載せて損することはない。
ちなみに私は直近のwithでは1枚目のメイン写真は友達と撮った自撮りを切り抜いて設定し、他の顔写真は他人が一眼レフでとってくれた写真(上半身×1枚、全身×2枚)を複数枚設定した。
自撮りじゃないほうがいい、と前の小見出しで述べたばかりだが友達との自撮り写真の場合は「楽しそう感」「自然な笑顔」になっていることが多いため、積極的に設定してもいいだろう。
一眼カメラの画像については実際に男性のプロフを見ているときに、明らかに画質が良いのと、スマホ画像と比べ顔の加工がない/少なさそうそうなイメージがあり、実物に近い姿なんじゃないかと信頼度高く写真を見ることができたからだ。
正直美味しそうな食べ物の写真・可愛い動物を載せるよりも自分の写真が多い方がありがたい
これは一個人の意見として軽く聞き流すくらいでいいのだが、プロフィール画像に美味しい食べ物の写真や飼っていたペットの写真などを大量に設定し、肝心の本人の写真が1枚のみ、というプロフィールも若干渋く感じる。
もちろん、好きな食べ物や趣味が伝わる写真があるとマッチング後のやりとりの会話のきっかけになるので重要なのだが、基本的に画面の向こうにいる人が一番興味あるのは自分の外見(一番わかりやすい要素なので)であることは覚えておくべきだ。
というのも、本人の写真が一枚だけだと「奇跡の一枚」である可能性が高くなるからだ。奇跡の一枚でないにしろ、登録されている一枚が横顔のみ、全身で顔があんまり見えない、明らかに数年前に撮ったであろう写真といった場合、会うまでどんな相手なのか分からないという不安が生じるためだ。
「赤の他人」スタートなので自己紹介文は興味を持ってもらえるような自己開示をする
写真を設定したら次は自己紹介の設定になる。
こちらは予めアプリ側が用意した項目を選択して登録する「プロフィール項目」と任意で記載できる「自己紹介文」の二つを設定する必要がある。
こちらの設定がアプリの初期設定で一番時間がかかるところになる。
根気強く取り組んでほしい。
情報量が少なくて損することはあっても長くて損することはない
繰り返すがマッチングアプリの出会い初期は、日常生活の出会いと比べて相手のことを知ったり自分のことを伝える情報量がどうしても少なくなってしまう。
画面上のやりとりと自己開示した自己紹介の情報頼りになってしまうからだ。
そのため、自己紹介文では相手が関心を寄せているであろう事項を過不足なく記載する必要がある。
「自分のことなんてどうやって説明したら良いか分からないからやりとりしながら知ってほしい」
という人もいるかもしれないが、最低限どんな人物なのか伝わらないことにはそもそも会話したいという気持ちも湧かない。
この前提を踏まえて自己紹介を一つずつクリアしていこう。
プロフィール項目はなるべく全て埋める
まずはアプリ側で予め用意されているプロフィール項目を設定しよう。
設定できる項目は以下の通りだ。ちなみに項目はpairsもwithもほぼ同じだ。
- 出身地(国内はもちろん海外も設定できる)
- 居住地
- 年齢
- 身長
- 職業(業界、職種、企業の特徴などから一つ選べる。「上場企業」「大手企業」「外資系」「コンサルタント」「web業界」などそれぞれの粒度がバラバラなので結構設定に迷う)
- 年収(200万未満〜○千万単位まで設定可能)
- 学歴(pairsだと任意で学校名まで記載することも出来たはず)
- 休日(平日・土日・不定期)
- 結婚への意思(今すぐにでも・2〜3年以内に・良い人がいれば・今は考えていないなど。)
- 子供の意思(欲しい・考えていない・相手と相談したいなど)
- 同居人(実家暮らし・一人暮らし・ペットいる・シェアハウス)
- お酒(全く飲まない・ときどき飲む・飲む)
- タバコ(吸う・吸わない。単に吸うだけでなく「相手が嫌ならやめる」「非喫煙者の前では吸わない」「電子タバコ」といった詳細な設定もある)
- 体型(スリム〜ぽっちゃり。筋肉質、グラマーなどもある。謎。)
- 初回デート費用(男性が全て払う・男性多め・割り勘・相手と相談など)
- 話せる言語(外国人の異性を探したい人向け)
これらの項目はそのまま「検索機能」で使用されることになるため、たくさん埋めれば埋めるほど精度の高い相手からアプローチを受ける可能性が高くなる。
もちろん、答えたくない項目は伏せても構わない。
ただ、よっぽど深い事情がない限りは未設定項目は少ないに越したことがないし、基本的には回答している人が大多数だと感じる。
タバコの項目は正直に回答するのがお互いにとって幸せだぞ!!と感じた話
ちなみにこのプロフィール項目で「タバコ」の項目を答えていない人がそこそこ多いのが面白いなと思う。
おそらく
「吸っているがヘビースモーカーではないし、かといって禁煙するつもりもない……吸っているで設定すると敬遠されそうだし、未設定にしておくか……」
「職場や飲みの席で付き合いで吸うことはあるけど自発的には吸わない…でも吸わないを選択するのは嘘になるから未設定にして、相手から聞かれたら正直に答えよう…」
など、程度に差はあれこの辺りの意図があるのだろうと予想している。
が、これはタバコの匂いや煙が苦手な人からすれば「タバコ」未設定は地味に困っていると思う。自分からいいねする場合は絶対に「吸わない」と回答している人かどうかを確認しているので問題ないが、いいねをしてくれた相手が「未設定」だったときにいいねを返そうか私自身困ったからだ。
特に前者の場合は「タバコが不利になることがなんとなくわかっているのであれば禁煙すれば良いのに!」と思わなくもないが、人の嗜好にあれこれ口出しはできないし、でもこれでガンガン吸う人だったらせっかくマッチングしても一緒にいるのはきついかもなぁ…みたいな葛藤を経ているのだ。
喫煙者全てが悪と言いたいわけではない。それこそ人によっては本当に付き合うことになったらタバコはやめようと考えている人、相手のいる場では気を使う人がいるのも分かっている。しかし、煙や匂いがどうしてもダメだと分かっているのに禁煙の意思がない喫煙者と付き合った場合、相手に「吸うのをやめて!」と伝えるのはお互いにとって幸せではない。
そうなってしまうリスクを避けるべく最初から喫煙者はやめておこう、と考え、「吸わない」を指定して検索している人が大多数なのだ。
このような不幸を生み出さないためにも、これを読んだ喫煙者は正直に設定することをオススメする。タバコ以外の部分が魅力的であればひとまずマッチングできるだろうし、やりとりの中で喫煙に対するスタンスを伝えることもできる。それか禁煙しろ。 タバコ税とおさらばして体と財布に優しくなろう。
「何をしている人なのか」「趣味」「恋愛に求めること」、もしあれば「どうしても苦手なこと」を書いておけばOK
次に任意記載の方の自己紹介文だ。
これは下記の事項を書けば問題ないだろう。
- 自分の簡単な紹介(どんな性格?友人からなんと言われることが多いか)
- 普段何をしている人なのか(仕事内容とか学生なら何を勉強しているかなど)
- 趣味(休みの日の過ごし方、マイブーム、好きなこと)
- 恋愛で大事にしていること(大切にしている価値観、どんな人がタイプかなど)
いずれも会話を広げるフックを提示した記載をするのがポイントになる。
極端な例だが、もし旅行が好きであることをプロフに書く場合
「旅行好きです!おすすめの行き先教えてください😄」
と
「旅行が好きです。海外より国内旅行派で最近はお寿司が食べたくて金沢に行きました🍣行って良かった旅先があったら教えてください🙌」
であれば後者の方が会話のネタで触れるときに何を話そうか考えやすい。
このように、プロフを読んでいる人に対して「話しかける」ようなイメージの文章でプロフを書くとマッチング後の会話で困ることはそこまでないように思う。
また、まだ会ったこともない人に見せるプロフにも関わらず
「〜〜な人、〜〜な人、××な人は無理です」
のように否定スタンスがベースになっている自己紹介は読んでいて良い印象は受けない(何様だ、と感じるプロフを書く人は嘘のようだがたまにいる)ため、苦手なこと、嫌いなことを羅列して表明するよりかは好きなことをアピールした方が良い。
とはいえ、どうしても苦手なこと・相手に知っておいてほしいことについてはプロフィールに記載しておくことでマッチング後の齟齬を防げるので状況に応じて書いておこう。
プロフィールの記載が極端に少ない人は一定数いるが、やはりそのような会員は外見が一般的に良しとされる部類であったとしてもいいねの数が少ないことがほとんどだ(むしろ顔が良いからこそ遊び目的だと思われるリスクがある)。
また、実際にアプリを使い始めるとわかるが、プロフィールの書き方で相手の性格がかなり見えてくるので面白い。もし身の回りにマッチングアプリを使っている異性の友人がいるのであれば相手のアプリから自分と同性のプロフィールを見せてもらうことをおすすめする。プロフィール写真の選定やいいねの数、自己紹介など参考になるものがかなり多いはずだ。
最後に参考として、直近のwithで私が書いたプロフィールを全文公開する。スクショ一枚でおさまらないので原文ママである。
なぜ原文が残っているかというとこういう時のためにアプリを退会する時に保存しておいたからだ。
ただ例としてあげておいてこういうのもなんだが、自分の自己紹介は長すぎるし、読むのが面倒・重く感じてスルーした人もいると思う。
が、これだけ長く書いているおかげか明らかに自分とは相性が悪そうな人からのいいねというのはpairsデビュー戦と比較し少なかったように思う。
し、刺さる人には刺さるプロフだったようで「プロフの内容が面白かった」「語り口調が好きなのでいいねしました」と、ありがたいことにメッセージ付きのいいね(後述する)をもらったことも多かった。
堅苦しく書きすぎず、なんとなく自分の普段のキャラやテンションが伝わるように書くのもいいだろう。
社会人2年目の「ぽぷ華」です!
最近都内で一人暮らしを始めました。
一人暮らしのコツを教えてほしい。
六本木でwebのお仕事をしてます( ˇωˇ )
今は在宅勤務してます〜
テラハも見ず、あつ森もやってない系の人種です……
幼少期はマリオよりクラッシュバンディクーで育ち、夏休みは1人で桃鉄99年プレイをやる。そんな人です。下手だけどMGSもや ります。
■好き
#音楽
→大学でバンドやってました🎤東京事変/八十八ヶ所巡礼/キノコホテル/アカシックが特に好き。コミュニティに入ってないバンドも 浅く広く聴いてるので音楽好きな人はぜひ話しましょう🤝
#お出かけ
→ディズニーや旅行みたいにワイワイ楽しめるものから、近くの商店街をぶらぶらするようなのも好き。いろんなところに出かけて一 緒に楽しみたいです☺️
#ダラダラ
→一日中外出する日もあればずっと家で寝てゆっくり過ごすのも好き。
録画したテレビとか見る休日、プライスレス。
#温泉
→疲れた身体を癒してくれるのは温泉。
#美味しいもの
→牛タンが食べたくなって次の日仙台に行くくらい貪欲。たくさん美味しいもの食べましょう🍴
ちなみに酒は飲めないですがモツ煮込み、砂肝好きです。居酒屋ラブ。
#大正昭和レトロ
懐かしさを感じるデザインすこです。
街中とかで見かけると思わず写真を撮ります。
■性格
#自己分析
→楽観的/大雑把/寛大/女の子らしくない/なんだかんだ1人で生きていける
#他己分析
→心を開くまで時間がかかる/よく考える/フッ軽/人生波乱万丈/変人
コミュ障で人見知りですが仲良くなったら楽しいです、きっと。笑
■恋愛
#大事にしてること
自分の時間を持つこと。
分かり合えないことがあっても理解しようとする姿勢を持つこと。譲歩。
相手を尊敬すること。
#タイプ
気取らず素の状態でいて楽しめる人
友達のように付き合える人
誠実な人
長々と書いてしまいましたが実際に話してみないとわからないことだらけだと思うので少しでも気になったらメッセージしましょう٩ ( 'ω' )و
よろしくお願いします🤲
※タバコだけはどうしても苦手なのでごめんなさい…
コミュニティ・心理テスト・好みカードは思いつく限り登録、参加する
コニュニティ(pairs)、心理テストと好みカード(with)は上記の自己紹介だけでは伝えきれない自分の趣味嗜好、価値観、属性などを表明するための機能になる。
相手をアプリで検索するとき、「共通のコミュニティ(好みカード)を登録している人を探す」「心理テストで相性の良い相手の中から条件に合致する人を検索する」などができるため、同じ趣味や相性の良い人と出会いたい人などにとっては主軸の検索要素となっている。
そのため、思いつく限りのものはひたすら登録しておくと検索網に引っかかるのでおすすめだ。好きなアーティストやスポーツ、趣味、恋愛における価値観を登録している人が多かった。
また、個人的には自分の属性が有利に働くコミュニティへの参加も必須だと思う。
例えば私の場合、髪型がショートなので「ショート/ショート女子が好き」といったコミュに登録していた。
似たような系統でいくと「塩顔が好き/塩顔男子」「身長◯◯cm以上」「ハーフ」など、異性に対してアピールになる部分をコミュで登録しておくことで、その属性を好む異性からの足跡やいいねを効率的に集めることが出来る。
逆にいうと、見た目・スタイルのタイプがある人はコミュ経由で相手を探すほうが楽しいだろう。
いろんな人のプロフィールを見て「こんなコミュもあるのか!登録しておこ」と気軽に追加していくのも良いだろう。
男性は無料いいねも最大限活用し、女性は狙いを定めていいねするのが吉
マッチングするために必要ないいねも、ちょっとした工夫でマッチング率を大きく左右するため戦略を立てるのがオススメだ。
どうしても女性優位の世界になってしまうため男性は戦略的に足跡・いいねをつけるのがポイント
ご存知の方も多いと思うが、男性会員は女性会員と異なり、マッチングアプリの使用は課金が前提になる。決して安くはない金額を払ってはじめて女性とやりとりができるようになるため、課金したからには絶対に相手を見つけてやるぞ!と意気込む方も多いのではないだろうか。
しかし、最初に付与されるいいねの数がなくなってしまうと、いいねの付与を待つか、追加で購入する必要がある(女性も同様)ため、男性会員は特に誰彼構わず乱打するのではなくマッチング精度を高めて行く必要がある。
その具体的な方法は主に2つある。
「無料いいね」を活用し相性の良い人とのマッチング機会を創出する
pairsにしろwithにしろ定期的にイベントを開催している。これは例えば「夏は何をして過ごすのが好き?」のように、運営から提示されるテーマに沿って用意されている4択ほどの選択肢から自分に当てはまるものを登録しておくと、相性の良い回答を選択をした会員へのいいねが無料でできるといったものである。
「相性がいい」の信憑性がどれほどのものなのか正直私にはわからないものの、何かしらの共通項を持った相手に対して無制限でいいねができるのはありがたいことである。
特にアプリを始めたてで誰にいいねしようか迷う場合はイベントでいいねを配る感覚を掴むことをお勧めする。失敗してもいいねは減らないからだ。
登録から「3日以内」などの新規会員でまだいいねが少ない会員に絞っていいねする
これも定番中の定番だが、競争相手がすでにたくさんいる相手を狙うよりもまだ誰も目をつけていない人めがけてアプローチした方が成功率は高い。
例えばpairsだといいねが500を超えている場合、いいねの表記は500+になってしまうと思うのだが、このような会員にいいねを送ってもまずマッチングはできないと考えた方が精神衛生上良い。すでにやりとりをしている相手が多く、その対応で手一杯なのでよほど好みじゃない限り新たにマッチングしようと考えていないケース、いいねがたくさんある=そこそこアプリに登録してから日が経っており、すでにアプローチする人を絞る段階に入っているなどが考えられるからだ。
「どうしても好みすぎていいねしないと後悔しそう!」という場合は積極的にいいねすべきだが、特にそこまでこだわりないがたまたまいいねしようと思った人が500を超えていて、他の会員と興味関心度合いは同じくらいとかであればそのいいねは登録したてほやほやの有望株のために取っておくほうがいいだろう。
具体的には登録3日以内でいいねの数が100〜200くらいの女性はかなり狙い目だと感じる。
そのいいねの数の段階であればマッチングしている数もさほど多くなく、しかし短期間で一定数の異性から興味を持たれている人物(=魅力的な要素が多い)、という判断を下すことができるからだ。
しかし、いいねの数が多いからといって必ずしも良い人ということは全くないのであまりいいねの数に振り回されずに気に入った相手にいいねをするのが一番だ。
コメント付きいいねは「ぜひお話ししたいです」ではなくいいねした理由・思わず返事をしたくなるような話題を送ろう(1通目のメッセージにも共通)
通常のいいねとは違い、本来であればマッチング後に送れる一通目のメッセージをいいねと同時に相手に送れる「メッセージ付きいいね」機能もある。
こちらは特にマッチングしたいと感じた相手へのアプローチとして使うのが一般的だ。
しかし、このメッセージ付きいいねの使い方が非常にもったいないと感じる会員が多かったのも事実だ。
「タイプです!ぜひお話ししましょう!」
「共通点が多いと思ったので仲良くしたいです」
あたりのメッセージは多く目にしたが、残念ながらこれでは相手の気をひくことはできないだろう。なぜなら、いいねをすること自体が「話してみたい」「何かしらの共通点がある」の意思表示になるのだから、それをわざわざメッセージでそれを言われたところでプラスに作用する余地がないからだ。
おそらく、一人のためだけにメッセージにかける時間を費やしてしまうと他の人にアプローチする体力がなくなってしまうという正直な気持ちと、「でもこの人とはマッチングしたい…!」という気持ちの葛藤がこの中途半端なメッセージ付きいいねの運用につながっているのだろう。
だが、使える回数が限られている機能をせっかく使うのであれば効果的に使って欲しいと切に思う。
メッセージ付きいいねを送りたいのであれば、2パターンの戦略が考えられる。(マッチング後の一通目のメッセージも同様のことが言える)。
1つは正攻法で、誠実に「どんなところに興味を持っていいねをしたか」を伝える内容だ。
先ほど残念な例に「タイプです!話しましょう!」をあげたが、このメッセージの残念な点は受け取った側に「誰にでもそう言ってるんだろうなぁ…テンプレかな」と思わせてしまう恐れがあるところにある。
複数の人に同時にアプローチするのがマッチングアプリの正しい使い方なので、テンプレだろうが大勢の人に同じようなメッセージを送ったって全く問題ないのだが、相手が人である以上、「自分は特別なんだ」と相手に思わせ、気持ちよくやりとりしてもらった方が自分にとって有利なコミュニケーションを取れることは容易に想像できるだろう。
そのため、「タイプです!話しましょう!」の旨を送るにしても、「この人はちゃんと私のプロフィールを読んでくれて興味を持ってくれたんだ!」というのが伝わるように、一人一人に異なるメッセージを作るのがいい。
例えばだが、正直顔がめちゃくちゃ好みな相手にメッセージを送る場合は顔のことだけでなく、しっかりプロフに書かれた価値観や中身もいいなと思ったんですよ感のあるメッセージを送る方が相手には刺さるだろう(外見を褒めるだけのメッセージはすでに他の人からもらっているのでそこだけ書いてしまうと差別化にならない)。
もう一つは相手のプロフィールを読み、相手が思わず反応したくなるような絶妙な話題をしょっぱなからブッ放すメッセージだ。これは若干相手を選ぶがハマる人にはハマる。
事実、普段であれば絶対にいいねを返すことのない相手(自己紹介文がはちゃめちゃに短い&タバコの項目が「未設定」)から絶妙な話題付きのいいねをもらい、「この話できる人アプリにおったのか…!身の回りの友達にもこの話できる人なかなかいないし普通にこれは返事したい!」と思ってまんまといいねを返し、会話を始めた相手とそのまま意気投合し、スピードクロージングした経験を私自身がしているからだ。(隙自語)
絶妙な話題とはどういう感じなのか想像しにくいと思うので、相手には許可を得ていないが(🤔)この時もらったメッセージの話題を簡単に書こうと思う。
先ほど掲載したプロフィールの通り、私はプロフィールで「音楽が好き」ということを書いていた。そこに同じく音楽が趣味な相手が興味を持ってくれていいねをしてくれた(推測)のだと思うのだが、その時に送られてきた話題が以下の二つだった。
- (事変の再生ライブに行ったとアプリ上で書いていたことに対し)自分も事変好きだからライブに行った感想が聞きたい
- (私が好きな"地獄で流行ってそうなマイナーめバンド"についても)そこそこ聴いてたから曲知ってます
音楽好きな人からすると、マッチングアプリというアウェーな戦場でこんなに圧倒的ホーム感のある話題を投げてくれた相手には一気に親近感湧くし、めちゃくちゃ会話もとっかかりやすいし、何より自分の好きなことを理解してくれそうな相手だと分かれば普通に熱く語りたくなる人が大多数ではないだろうか(音楽がそんなに好きじゃない人には伝わりにくい例で恐縮だが…)。
このように、マッチングアプリにありがちな無難な話題や形式的な会話をすっ飛ばし、例えば趣味だったり斜め上の質問などの一歩踏み込んだ話題でメッセージを送ることで相手に新鮮味を覚えさせ、強烈な印象を残すことができる。
趣味であれば大丈夫だと思うが、例えば加減をミスってプロフに記載されている恋愛に関する価値観に対し、踏み込みすぎた内容を送るとむしろ距離感が近すぎる、デリカシーがないとマイナスな印象を与えるリスクもあるため、さじ加減が難しい!と思った時は先に解説した誠実戦略のメッセージでアプローチをするのがいいだろう。
女性は待ってるだけでも「いいね」が集まるが条件を絞ったメンズに積極的にいいねしよう
次に女性の場合だが、男性とは異なりほっといてもいいねが来やすいと言える。
「自分に興味を持ってくれた人の中から気になる人を見つけていいねを返すのが一番良さそうだから待ちの姿勢でいよ〜っと!」
と考える方も少なくないのかもしれない。が、ちょっと待ってほしい。
待ってるだけでもいいねはたくさん来るが「本当に私のプロフ読んだ?」という人からのいいねが想像以上に多い
これはアプリを使ったことのある女性なら誰もが同意してくれると思うが、たくさんいいねが来るわりに「本当にこの人私のプロフ読んだ?」と感じるような相手からのアプローチが多く、実質有力な選択肢になりそうな相手からのいいねはそこまで集まっていなかった…というのがアプリを始めてすぐのリアルな感想になる(男性陣には申し訳ないが)。
もう少し具体的にいうと40代50代の人からいいねされることも珍しくなく、(年齢差に寛容な時代とはいえもはや親子やん…)と若干引いてしまうことも少なくはない。
また、同年代からいいねが来たと思っても「アプリとかよくわからないけど初めてみました❗️野球やってました⚾️よろしくお願いします😎」のように、地元の高校出身で好きなアーティストは三代目ジェーソウルブラザーズと答えそうな人(ど偏見)(決して悪い人ではない)から「顔がタイプなのでいいねしました😁一途で尽くします👊」のようなコメント付きいいねをもらった時などは、
(どうみてもあんな自己紹介文書く陰キャぽぷ華と相性悪いやん…!?え!?まじ??)
と頭がはてなでいっぱいになり、どうも受け身のままではいけないということに気づくことになる。
アプリを使ったからには白馬の王子さまが現れるのを待つのではなく、狩人の気持ちで行動を起こすことが大事になる。
せっかく検索機能があるので条件で絞って検索しまくろう
ではどうするべきか。答えは一つ。まずは検索機能で限りなく条件を設定した状態で会員を絞り、気になる人を探そう。そして徐々に条件を緩め、視野を広げていくのがいいだろう。
プロフィール項目を苦労して埋めた人ほどこの機能のありがたさに感謝するだろう。
また、通常の検索機能だけでなく
- フリーワード検索(例えばプロフ内で「バンド」「東大」の文言を出している人を検索したい時などはこれを活用。使い方は無限)
- 共通して参加しているコミュニティ(pairs)・好みカード(with)(=どちらも趣味や価値観などを表明するもの)がある人に絞る
- 「相性の良い人を絞る」(withの心理テスト機能)
といった機能を組み合わせて駆使すると日常生活では知り合うはずのなかった相手がどんどん出てくる。
かなり詳細・無数の組み合わせで検索できるので受け身ではもったいないと感じるはずだ。
ただ、どんな条件で検索をかけるにしても最終ログインは「24時間以内」、もしくは普段多忙で頻繁にアプリを見られない可能性も考慮して「3日以内」を上限に設定して検索することを強くお薦めする。
無論、活発にアプリを使っている会員はまだ積極的に相手を探している可能性が高いからだ。
最終的には直感で「この人好きかも〜!」と感じた人にいいねするのが一番良い
とはいえ、だ。
記事冒頭でもお伝えした通りアプリで検索できるようなスペックだけでは相性の良さや一緒にいる時の居心地をはかることはできない。
検索条件にこだわりすぎず、プロフィールに目を通した時に「この人なんかいいかも!!」と思えた人にいいねをするのが一番だ。
ちなみに、女性が男性にいいねをする場合だが、基本的にいいね数が3桁の男性会員はかなり人気と考えていいだろう。
体感的にいいね50前後の男性会員は攻守ともにバランス抜群(?)だと思うので一つの参考値にしてみてはいかがだろうか。
マッチングはスタートライン。マッチング後に苦戦するのは何故か
プロフを苦労しながらもなんとか完成し、大海原への冒険で出るかのごとく数多にも存在する異性から気になる相手を見つけ、いいねをする。そして相手からいいねが返ってきてようやく我々はスタートラインに立つことが許される。
しかし、マッチングしたことで気が抜けてしまい、一番重要なテキストコミュニケーションがうまくいかなくなってしまってはこれまでの苦労が水の泡になってしまう。
マッチング後はいかに相手にフェードアウトされないうちに勝負を進められるかにかかってくるため、気を引き締めていく必要がある。
この章ではマッチング後に直面しがちな問題とその対処の仕方を解説する。
マッチング=ゴールではないため、容赦無く脱落する厳しい世界
「マッチングまではそこそこうまくいくけれど、その後が全然ダメ……」
マッチングアプリで挫折する人の過半数近くの人がこのやりとりフェーズで心が折れているのではないかと思う。
マッチングはあくまで会話をする機会を得られたというスタート地点なだけであり、マッチングしたからといってその相手と平穏に交流を深められる保証はどこにもない。
むしろ、相手は他にマッチングしている人と自分を比較し、間違いなく優先順位をつけている。こちらも同様にマッチングしている相手に優先順位をつけるのでお互い様とはいえ、やりとりのテンポ、波長、話題全てが評価対象となるので妙な緊張感を常に抱き続けながらなんとか会話を続けようと試行錯誤することになる。
しかし悲しいかな、そんな努力とは裏腹に前触れもなくやりとりが途切れてしまうことが日常茶飯事で起こるのがマッチングアプリの残酷な部分だ。
なぜそのようなことが起きてしまうのだろうか。
いいね数稼ぎが目的だったのでいいねが返ってきてマッチングしても放置する
一定数いるのが「いいね稼ぎ」のためだけにいいねをし、その副産物としてマッチングしただけなのでそもそも初めましてのあいさつすらないケースだ。
前章で少し触れたが、マッチングアプリにおいて「いいね数」は一種の物差しとして機能している。
いいねが多くても地雷はいるし、いいねが少なくても誠実で素敵な人はたくさんいるのでマッチングアプリ猛者になると自身の審美眼と直感のみに頼って相手を選ぶことが多くなると思うのだが、「いいねが多い人の方が魅力的なんじゃないか…」と思ってしまうのが人間のサガである。行列のできているお店が美味しそうに見えるのと全く同じ原理である(とはいえいいねが多すぎると今度は怪しまれたり敬遠されるので難しいところだが)。
それを理解している会員の場合、お気に入りの人を見つけた時にマッチングの確率が上がるよう、少しでも自分が魅力的に見えるように日頃からアカウントを育てることがあるのだ。その手段の一つがいいね稼ぎなのだ。
これは毎朝できる無料いいねを活用するケースが散見される。居住地が遠かろうが趣味がかぶっていなかろうが、なんでもいいのである。とにかく配れるいいねは全部送り、いくつか返ってきたら万々歳、という作戦なのだ。
自分がマッチングした相手がいいね稼ぎタイプで返事がこない、という場合は正直こちらに非はないしどうしようもないのでさっさと別の人にいこう。
同時進行している他の人の方が良くなりフェードアウト
これはマッチングアプリ特有の事象だろう。会話の途中だろうが「なんか違う」と感じたらぶつ切り音信不通、他の人の会話に集中するということは最初は慣れないかもしれないが普通に行われている。こればかりは弱肉強食のマッチングアプリで生き残る術を身につけるしかない。
また、普通に楽しい会話が続いていたはずなのに返事がこなくなってしまうケースの中には「進展しなさすぎて見切りをつけられる」パターンもあるため注意が必要だ。
個人的には誘いたい方が誘えよ、と思うのでアレなのだが「会話も盛り上がって友好的なオーラを出してるからご飯に誘ってほしいな」と(主に女性側が)期待し、それとなくご飯やお出かけの話題を出したにも関わらずそれを相手から華麗にスルーされた場合に(脈なしかな…)(お膳立てしたのに誘わないとかまじ!?)と、こちらから誘うことはせずそのままフェードアウトというなんとももったいないケースである。
誠実・奥手すぎるが故に会話をずるずる続けていると相手に
「この人、情で会話を続けてくれてるだけかな」
「会話はそこそこ続いて楽しいけど他の人からご飯誘われたからまずはそっちに行ってみようかな…」
などと思われてしまうため、適度なタイミングで次のフェーズに移行することが重要になるのだ。特に、他の人と先に会ってしまったことでそのまま興味が相手に持って行かれてしまいフェードアウト、というタッチの差での敗北も考えられるため常にライバルの存在は意識すべきだ。
マッチング後の会話は相手任せにするな。「ボールを投げ、拾い、繋げる」という当たり前のコミュニケーションが最も大事
この章は耳の穴かっぽじってよく聞いてほしいので全部大文字で話す!!!!!!
こちらの投げかけに対し「そうですね😂」「はい!」しか返さず話題を即終わらせる人!!!
質問に対し単語で答えるだけ・追加の話題も出さない・質問返しすらしない人!!!!!
嘘みたいに感じるかもしれないがこういう人がアプリ上には5000兆人いる!!!!!!!!!
何を話せばいいかわからなくて一番困っているのはお前の相手だからな!!!!!
お互いが努力して会話を広げよう・続けようと思わないとすぐフェードアウトされて当然だからな!!!!!!
誇張抜きにコミュ障の私がコミュ強になれる界隈、それがマッチングアプリです。
アプリを使っていて虚無になる理由の全てはここにあります。
もし丁寧に・まともに会話できる人とマッチングできたらちょっとタイプとは違うと感じても、その人のことはすぐに切らず、もう少し仲良くしてみるといいかもしれません。
以上です。
マッチングの数は多ければいいというわけではない。一人一人のやりとりと無理なく向き合える程度の人数でセーブしよう
一つアドバイスしたいのが、マッチングのしすぎには注意が必要だ。
私がいいねからマッチングの数をかなり絞っていたのは「一人一人との会話を適当にしたくない」という気持ちがあったからだ。
社交的な人であればさほど問題ないのかもしれないが、おそらく誰でも話したことのない人相手にやりとりを続けるのは気を使うし、メッセージの内容も考えるしで結構エネルギーを消費するのではないかと思う。
一人の人相手にやりとりをするのでもそこそこ時間がかかるのだが、これを数十人相手に平行して行うとなると、その労力は計り知れないものになってしまう。
その結果、全員に対して作業的なやりとり、中途半端なリアクションしか出来なくなり、どの相手も微妙な感じで終わってしまう恐れがあるのだ。まさに二兎を追う者は一兎をも得ず。
マッチングの段階でめちゃくちゃ厳選しろとは言わない。ちょっと話してみたら違うな、と感じることはザラにあるし逆に相手の方からフェードアウトされることもあるので最初のうちは10人〜20人とマッチングして触りの部分の会話を進める分には全く問題ないだろう。
しかし、全員とやりとりを続けようとするのではなく、徐々にやりとりする相手を選抜し、継続的にやりとりをしているのは3人前後、くらいが一番心理的負担も少ないと思われるのでオススメする。
もちろん、チャット感覚で知らない人と会話するのが楽しい!全然疲れない!という場合はガンガンマッチングしてガンガン会話するのもOKだ。
LINE交換、ご飯へのお誘いなどのタイミングは相手の温度感が全て
ここの見極めが難しいのだが、唐突に誘うのがNGというのは感覚で理解できるかもしれないが、かといって慎重に進めすぎると相手がしびれを切らす、もしくは他の人と良い感じになってしまいフェードアウトすることもあるため適度なテンポ感とタイミングが重要になってくる。
LINEの方が外出先でも開きやすいという理由で交換したい人も一定数いる。馬が合うと感じたら打診しても◎
マッチングしてから初めてのデートまではアプリ上でやりとりする人もいる一方で、
「そこそこ会話が続いたらLINEを交換して話したい」
という人も一定数いる。まだ会ったこともない人にLINEを教えるのはちょっと…と抵抗感ある人もいるため、もし交換に気が進まない場合は遠慮せず断ればいいし、断られた側も無理強いせずアプリ上でやりとりを続けた方がいいだろう。
ただ、そこそこ会話が続いてからLINEを交換したがる人は勧誘や遊び目的ではなく、気兼ねなく会話ができるようになりたいと考えていることがほとんどであることを理解しておくといいだろう。
家にいる時などは問題ないのだが、どうしても外出先では周囲の目が気になってアプリを開きにくい、という人が多い。しかし、相手からやりとりの返信が来ているからすぐに返したい……そんなもどかしさに苛まれると「LINEで会話したい」と思うようになる。
同じような理由で、通知でマッチングアプリを使っていることが周囲にバレたら嫌だと思う人はアプリの通知を完全に切っていることもある。そうなると、やりとりの返信が来てもすぐに気づけず、アプリにログインしてようやく気づくといったパターンもある。
お互いの休日の過ごし方や趣味の話で盛り上がることができた頃合いにLINEの交換を一度申し出てみてもいいし、逆にLINEの交換を頼まれたら一定以上の関心を寄せてくれていると捉えていいだろう。
初回デートはあっさりめに解散し、日を空けすぎない日程で次の約束をとりつける
デートもどれくらいやりとりしたら誘っていいのかわからない、という声も聞かれるがこれは相手によるとしか言いようがないためこれくらいのタイミングが一番いい!と断言することはできないが、会話の流れでデートの日程が自然と決まるというのが一番いいだろう。
一番自然なのは会話の流れでお互いがちょうど食べたいと思っているもの、行ってみたいと思っているところが合致したことが判明したタイミングでデートに誘う流れだ。難易度もそんなに高くなさそうに見えるのだが、意外とその話題にたどり着かないこともある。
何か信ぴょう性のあるデータがあるわけではないが、少なくともフェードアウト上等のマッチングアプリで一週間ほどやりとりが続いているのであれば会話の流れとは関係なく食事に誘っても問題ないだろう。
各所で散々言われている古典的アドバイスになるが、マッチングアプリの場合も初回デートは昼間・ご飯メイン・2〜3時間ほどで解散が安パイだ。そして、その場の盛り上がり方次第だがもっと仲良くなりたいと感じたのであれば日を空けないうちに、なんなら解散する前に次の約束を取り付けよう。
2回目のデートの約束が出来たのであればここから先はアプリ云々の戦略ではなく、普段の出会いと同じように進めていけば春は近いだろう。
アプリでの出会いも縁が全てなのですぐに見つからなくても焦る必要は皆無
ここまで長々と基本的なアプリのいろはを解説してきた。
画期的なサービスである一方、使ってて苦労するポイントもそこそこあるため、アプリを入れたからといってすぐに恋人ができるとは限らない。むしろ、すぐに出来るのは少数派だろう。もし
「良い人と出会えないのは私に原因があるのかな…」
「知らない人とやりとりをずっと続けてたからアプリに疲れてきた」
「やっぱり自分に恋人なんて無理なのかな」
というネガティブな気持ちが生まれてきたら無理せずアプリをおやすみした方が良いだろう。そして、気が向いた頃にまた再開するくらいがちょうどいい。
休んでいる間に日常生活で出会いがあるかもしれないし、再会した頃にはまた新しく入会した会員が増えていてビビッとくる相手と出会えるかもしれないからだ。
結局、日常生活の出会いもアプリの出会いも縁が全てだ。人との出会い、相手の気持ちは自分一人の力ではどうにもできない不可侵領域だからこそピタッとハマったときに尊いのだ。
自分への自信をなくすのではなく、「今はまだその時期じゃないんだな」と肩の力を抜いて向き合うくらいが案外好機は巡ってくるものだ。
きっかけが日常生活なのか、友人の紹介なのか、アプリなのか。付き合ってしまえば同じ
果たしてここまで読んでくれた人がどれほどいるのか気になるが、ついにこれが最終章だ。アプリに興味がある人も、当分使う予定がない人も共通して持っているだろう疑問、
「アプリがきっかけで付き合うのって、実際のところどうなの?」
この問いに私はこう答える。
「他の恋愛と大きく違うことなんてない。なんら特別なことではない」
と。
お互いのことを見つけ出し、ファーストコンタクトを取るところまでは新鮮味ある体験に溢れているかもしれないが、実際にやりとりをはじめて次第に心理的距離を縮め、実際にデートをするようになってしまえばそこから先はいわゆる普通の恋愛とは何も変わらなくなってくる。
強いていうなら日常生活では絶対に出会えなかったであろう人とも奇跡的に出会う機会に恵まれたかどうか、といった違いしかないだろう。
大真面目にロマンチックなことを言わせてもらうと、従来であれば待つことしか出来なかった「運命の出会い」を自らの意思で掴めるようになったのがマッチングアプリの最大の功績であると私は感じている。
withの謳い文句が「運命の出会いよりも確実」だがこれは言い得て妙だと思う。
自分の幸せは自分で作り出したい。待っているだけでなく、ちゃんと動きたい。何の変哲も無い日常に彩りが欲しい。辛い過去を忘れるために前に進みたい。
動機は何だっていい思う。
自分の意思で何かを変えようとしている人にとってマッチングアプリは間違いなくプラスに作用するだろうし、使って良かったと思えるだろう。
そんな人にとってこの記事の内容が新たな一歩を踏み出す助けになれていたら幸いだ。
マッチングアプリを使う全員に幸あれ。
……ちなみに私の近況については直接会った時にお話させてください。以上!!
拝啓 ありふれた景色がやっといまざわめきだす季節、
コナハワイアンズ様におかれましては、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。
先日は、私たち53代の大学卒業に先立ちまして、コナハワイアンズ追い出しライブの場を設けてくださり、誠にありがとうございました。
コナを追い出されてから4日経過しました。
2019年3月18日、コナハワイアンズ53代は晴れてサークルを追い出された。
今日は22日なので追い出されて4日経過したのですが……びっくりするぐらい実感がない。
なんなら去年の引退ライブ当日の時の方がよほど涙腺にきたんだけど、なんでだろう。
どこかで「その気になれば会えるし、バンドだってもしかしたらまたできるかも」という思いがあるのかもしれない。引退の時がそうだったからだ。
しかし、頭では分かっている。春になればバンドメンバーをはじめ、同期は各々違う道を歩むことになり、一気に違う世界で生きていくことになる。
学生の今とは違い、気軽に顔をあわせることが難しくなることは容易に想像がつくし、そんな状況でまたライブに出られるように予定を合わせて練習をする、というのはとても壁の高いことのように感じる。
そもそも、私自身も新しいことと出会うことでバンドへの関心が薄くなることだって十分あり得る。
もっと言ってしまえば、数日前のあのライブが人生最後のライブだったのかもしれないことだって分かっていたはずだ。
それでもこんなにけろっとしているのは、まだ現実感を覚えてないからだろうな。
「追い出されは正真正銘サークル、固定バンドからの卒業であり、その瞬間からバンド生活は過去の思い出としてのみ自分の中に残る」ことを現実的に受け入れられた時に初めて、私は二度と戻ってくることのない、奇跡のような4年間の記憶をしつこいくらいなぞるように反芻し、ホロリとしてしまうのだろう。
さて。
上にも貼っている通り、私は引退ライブのあとにシトロンで過ごしてきた3年間に重点を置いた、心情吐露とサークル現役生活の振り返りをしている。
さらに、追い出し当日のMCでも触れた通り、今回私はバンドメンバー一人一人に対して1時間以上かけて思いをしたためた愛の重い手紙を書いて渡している。
なので、今回はもう特段ブログを更新してまで語ることはないと皆さんお思いかもしれない。
……否!そんなことはない。
やっぱり、引退と追い出されでは意味合いが全然違うし、なによりもライブを聴いて・演って感じたことが全然違った。
正直、サークル卒業した!!寂しい!!。゚(゚´ω`゚)゚。みたいな感情はまだ自分の中には生まれてないのでお涙頂戴の激エモ記事になるかはわからない。
でも、今回の記事では追い出されライブの時に確かに感じたことを残したいのでまた一人でつらつらと語るように書こうかと思います。
同期へのエモが爆発するラストライブだった
まず、何よりも追い出されライブで感じたのは同期に対するエモさだ。
田中の弾き語りとミンティアの伝説のラストライブはどちらも最前で見守っていたが、なんだろう、すごく胸が熱くなって涙腺が緩みそうになった瞬間が何度もあった。
例えば田中が優しそうな表情で、でも貫ぬくような視線でこちらを見ながら歌っていると思いきや少し声が震えていることに気付いた時とか、ミンティアの楽器隊が本当に楽しそうに空くんを見守っている時とか。
かとあやがMCで、その場に立ち会うことができなかったのらくらに対して感謝を述べた時。
ココアシガレットを咥え、缶ビールを呷る空くんの一挙一動には53代のトリを背負うに相応しいオーラが纏われていたり。
バンドからの卒業って、こういうことなのね。
刻一刻と迫るラスト一曲に向けて皆がそれぞれの感情を胸に抱いて丁寧に楽しそうに、時に大胆に演奏し、歌う姿にはこれまでの4年間の軌跡が手にとって見えるようで愛おしかった。
私自身もやはりライブ中にエモを感じた。
知っての通り、追い出されの時はいつも以上に楽器隊の方を派手に何度も振り返って見ていたのだが、その時に中田が少し笑っているように見えたし、何度か目があった。
実は中田とライブ中に目が合うのはこれが初めてだった(中田に限らず楽器隊と目が合ったこと自体初めて)(川島のことを散々ガン見してたのに目があったことはない)(追い出されの翌日に川島からそのことを指摘されて草)(目が合うと照れて動揺して歌詞が飛びそうだったので合わないようにしていた部分はある)。
普段中田は真顔で一生懸命鍵盤や譜面を見ていて、柔らかい表情でキーボを弾いている姿を見たのは初めてだったので少しグッときてしまった。
植山が時折浮かべる楽しそうな表情だったり、珍しく走り気味なドラムから伝わってくるこうくんのラストライブに賭ける思いに私もワクワクしたし、1曲目のみずいろからボルテージMAXでギターを弾いてくれた川島もアツかった。
楽器隊の楽しそうな姿を見てしまったもんだから、ライブ中は「これで終わっちゃうんだ、寂しい……」といったしんみりとした気持ちは本当になく、「めちゃくちゃ楽しい!!!!!」という単純な感情だけが頭の中を占めていた。
多分、あまりにも最後まで楽しい気持ちのままでやりきってしまったから未練なくシトロンを完結させることができたんだと思う。
だから追い出されて数日経った今も、エモさは感じれど、寂しさや喪失感がほとんどないのだろう。
シトロン完結の瞬間まで幸せな形で迎えられて本当に恵まれている……。
こんなに同期へエモを抱けたのは、4年間いろんなことがありつつ最後まで平和に過ごせてきたこともあるし、同期バンドはそれぞれのメンバー以外での結成ではありえなかったということを答えあわせのように一つずつ見届けることができたのが一番の理由だろう。
無色のラストライブは結果的に早稲田祭になってしまったが、あのばちばちごりごりの強いメンバーに囲まれた田中が全身で楽しそうに歌うことが無色たらしめていたし、
ミンティア(MASK)も空くんの歌に惚れ込んだファンが楽器隊として集ったメンバーだったからこそあのエモくて素敵な雰囲気が醸成されたんだな、というのが演奏、MCの全てから伝わってきたのだ。
シトロンも同じだ。
ラストライブ後、楽器隊からいろんな言葉、いろんなタイミングで「シトロンがこのメンバーでよかった」「シトロンのボーカルが黒木でよかった」と言ってくれた。
私もそれぞれへの手紙に、シトロンのメンバーとしてギターを、ベースを、ドラムを、キーボを演奏してくれて嬉しかったしこのメンバーでのシトロンしか考えられない、ということを伝えていたので晴れて相思相愛なことが最後に確認できてとても嬉しかった。(?)
そして、同期のエモで語る時に欠かせないのは唯一の同期女ボーカルの田中だ。
引退の時もさらっとしか触れてないのでこの場でしっかり書かせてもらおうと思う。
引退ブログでも少し触れたとおり、私は田中のことを声質やらキャラやら振る舞いやらが自分とは全然違うボーカルだからこそかなりライバルのような存在として意識したり、悩んだ時期があった。
しかし、犬猿の仲ではなく、心の中に密かに燃やす気持ちはあれどお互い仲の良い関係を築き、4年間を過ごしてきた。
それは、田中のことをボーカルとして、同期として、1人の友人として尊敬できたからこそ成り立っていた、絶妙なバランス関係だったと思う。
実は出順の関係で、これまでのライブで私が無色のライブをしっかり全部見られたことというのはそんなに多くない。
録音が出たら欠かさず聴いていたが、そんな事情もあり最後のライブは1秒たりとも見逃さず、目の前で聴かないと、と決めていた。
だからラストの弾き語りは、私は最前で見ていたし、田中の動画も撮っていた。
無意識のうちに私は田中に「動画撮ろうか?」と聞いたのだが、「これまで刃を交わし続けた戦友を最後の最後にねぎらい、称え、見届ける」気持ちからのものだと今ならわかる。
そんな田中が追い出され二次会のムーンウォークで私に話しかけてきた。
が、その時彼女はすぐに涙がこぼれそうになったのか言葉が詰まってしまい、私は落ち着いたら伝えてくれればいいよ、と促した。
直接聞けなかった言葉を日付が変わって家についた深夜、彼女は改めて伝えてくれた。
「私は同期唯一の女子ボーカルが黒木でほんとうによかったなって思っていて。
黒木は人の気持ちをよく察すしすごくよく考える人だけど、感情<論理のいつでも冷静な人で、だからこそ私もちゃんとボーカル、ライバル、戦友として4年間向き合ってこれたなあと思ってる。
まじめで誠実で、優しくて冷静な黒木がその相手だったことは宝物だなあってことを伝えたかった」
「私、ライブ見ててシトロナイズされたCOSMIC BOXでシトロンのボーカルが黒木でほんとよかったなって。
私ら、『(シトロンと無色の)ボーカルが逆だったら…』、とかネタでもややガチでも最初の頃そこそこ言われてたのを思い出して。でも、全然そんなことなかったなって。」
あぁ、私だけじゃなかったんだ、と。
田中も私のことを同じような存在として見てくれていたんだなって。
そして、そんな田中からもシトロンのボーカルが黒木でよかった、という言葉を貰えたのはこの上なくありがたかったし、私のことを1人のボーカルとして認めてくれていたんだ、と思えたのだ。
シトロンと無色のボーカルは逆の方が、という話は田中に言われるまで忘れていたが確かにそういうこともあったな、と懐かしくなった。
その話は私も何度か耳にしていて、そのたびに複雑な思いを抱いていたのだが、今なら笑い飛ばせる。
いやいや、何を言っているんだと。
シトロンのボーカルは私じゃないと務まらないし、無色のボーカルは田中以外お呼びではない。これまでのライブがその証明だ。
きっとこれは私達以外の同期はもちろん、後輩もそう思ってくれるに違いない。
……こんなに同期に対してストレートな言葉で語れるのは、追い出されが最初で最後だろう。
53代は皆穏やかで優しくて一緒にいて気楽だったのでとても大好きだ。
しばしばその平和さから奇跡の代、と自称していたがあながち間違いではないだろう。
ぜひ、この一緒に過ごしてきた4年間を
「忘れないで零さないで そっと握りしめて
ポケットの中に潜ませて そして今日も連れてってよ」
という気持ちでいる。
卒業してからも会いたいなと、心の底から思う。
出会いと別れの繰り返しでコナは変わってゆく
そしてもう一つ。当たり前ではあるが追い出されライブは引退ライブとは全く違う門出なんだな、と改めて実感した。
コナハワイアンズでは2度、サークル生活に区切りをつけるタイミングがある。
1度目が3年冬の引退ライブ、そして2度目は4年春の追い出されライブだ。
引退ライブを境に本当にそのままサークルにあまり顔を出さなくなる人もいるが、基本的には4年の夏、秋頃にはバンドとして復帰する。
なので、形式上3年で引退とは言いつつ4年生も”現役”のサークル員として受け入れられているように思う。
じゃあ、引退ライブと銘打って一区切りつけなくてもいいのではないか、そこまで大々的な位置付けにしなくてもいいのではないか、と思うかもしれない。
しかし、ご存知の通り引退ライブの一番大きな意義は「幹部交代・世代交代」だ。
サークル運営を中心となって担う代を交代するための機会が引退ライブであり、いわばそのライブを完遂させることではじめて幹部代はコナを無事に一年間守り抜き、次の代に引き継ぐことができたと胸を張れる。
そして、引退前最後に見せたその姿が新幹部への鼓舞となりプレッシャーとなり、新しいコナの歴史を紡ぐための土壌になると思っている。
なので、どちらかというとこの区切りでは寂しさというものよりも達成感による感慨深さの感情が強く出るだろう。
私自身、引退ライブの後に感じたのは
「3年間という一区切りの段階で、自分がシトロンを通して成長できたこと・他のメンバーもシトロンに愛着を持っていることが実感できたことに対する感情の昂り」であり、流した涙も寂しさではなく一種の嬉し涙のようなものだった。
それに対して追い出しライブは「4年間のサークル生活に幕を閉じる」ために存在する。
かつてコナに在籍していた伝説の固定バンド、先輩たちも例外なく大学卒業を目前に控えたタイミングで固定バンドとサークル活動に別れを告げてきた。
それは無論、3月がそういう季節だから仕方ないのだ。
春は出会いと別れの季節で、別れがあれば当然出会いもある。
4月になると早稲田にはたくさんの新入生が入学してくる。そして、キャンパスは新歓によって活気溢れる場となり、多くの人、サークルとの出会いが生まれる。
コナでも昨年末引退した54代幹部が中心となって行われた新歓が大成功を収め、1年生がたくさん入ってきてくれている。
その1年生たちもあと数週間で2年生となり、新歓する側になって新しいサークル員を迎える立場となる。(時の流れが早くて本当にびっくりする……。)
そう、季節の移り変わりとともに私たちを取り巻く人も居場所も環境も、何もかも少しずつ着実に変わってゆく。
「全く同じまま」はありえないのだ。
コナの場合、12月に新幹部が誕生し、3月に4年生を追い出し、4月に新しいサークル員を迎えるというステップを踏むことで次第に新しいコナへと変貌していく。
旧態依然とするのではなく、新しい風を入れて前に進んでいくことがサークルの発展には欠かせないのだ。
記事タイトルにも引用しているが、ただならぬ関係で歌った通り
「ありふれた景色がやっといまざわめき出す」
というのはまさにこれらのことをすごく綺麗に表現しているな、と思っている。
ただし、新しく変わっていくコナにはそれまでの面影を少しも残すことができないのかと言われるとそういうわけではない。
新幹部である55代はまさに私たち53代が新歓した代にあたる。
私たちがコナを完全に去っても、53代が自信を持って新歓し、迎え入れた55代がサークルを責任持って守っていく幹部としてさらに盛り上げてくれるに違いない。
55代幹部が創り上げていくコナは、54代幹部、53代幹部が創ってきたコナとはまた違うサークルになっていくだろう。
でも、その変化の根底には「より良いサークルにしよう」の思いが存在するだろうし、その思いの一部に私たちをはじめ先代の背中から学んできたものが少なからず蓄積されていると信じている。
私は幹部代だった時、なんの役職にも就いていないヒラサークル員だったのであまり偉そうなことは言えないが、きっとサークルが何代にもわたって守られ、受け継がれていくというのはこういうことを指しているんだと思う。
だから、4年間を過ごしたサークルから去る今、ちょっとした切なさを感じつつ、それ以上に私の知らない新しいコナに変わっていくのが楽しみな気持ちもある。
今の私の心情は再びただならぬ関係から抜粋すると
「涙なんて流さないで 幸運を祈るわ」
なのだ。当然、サークルを去る私たちが一番喪失感やら寂しさを覚えるが、残されるサークル員側にも似たような気持ちを抱える子はいると思う。
シトロンのラストライブも、何人かが涙を浮かべながら見てくれていた。
また、ライブが終わった後に直接感想を伝えてくれたり、ラインで気持ちを伝えてくれた後輩も複数人いた。
自分たち以上にシトロンの最後を惜しみ、涙を流してくれる存在が出来たのはすごくありがたいことだ。
でも、4月になると私たちのライブを聴いてくれていた後輩たちは、学年が上がることでより一層「後輩に憧れられ、目標とされる存在」になっていく。
もし私たち53代のラストライブが後輩たちへ何か刺さるものを残せていたとしたら、きっとそれは彼ら、彼女らの固定での成長、バンドやメンバー、そしてサークルとの向き合い方に対するちょっとしたヒントになるかもしれない。
私たちが後代に残した要素が、残された後輩の手によって新しいコナの要素と融合したその時。
各々の固定バンドでのライブが、無色やミンティア、シトロンが生み出してきたものとは違う、新しい感動や感情の揺さぶりを創り出すと考えると、この別れも存外悪いものではないと思えるのだ。
これからコナはどんな固定バンドサークルになるのか。それをサークル員として見守ることはできないけれど、早稲田祭のような機会があればちらっと覗いてみたいなと思うし、そう自然と思えるような4年間を過ごせたことを改めて嬉しく思う。
末筆ながら春草萌えいずる好季節、コナハワイアンズ様の更なる飛躍を心よりお祈り申し上げます。
どこかでまじわって遇えるかもね。
またあなたに会えるのを、楽しみに待ってさようなら!
敬具
平成31年3月22日
ぽぷ華
コナハワイアンズ53代、54代、55代、56代様
新宿に豪雨を降らせて見えたもの
12月27日のクリスマスライブをもって私はコナを引退した。正直なところ、引退といっても4年の早稲田祭からまたバンドは復活出来るしサークルの同期、後輩とは会おうと思えば簡単に会えてしまうので悲しさはない。が、やはり何か胸に迫るものがある。引退という節目を迎えた今、この瞬間にしか書けない、これまでのサークル活動でのあれこれを振り返りながらつらつらと文章に残しておこうと思う。バンドメンバーに関する話も多々あるが、全て私個人の目線・感情基準での話なのでもし何か実際と異なる部分があれば申し訳ない、ということを先に述べておく。
サークルに入ってから今日までを思い返した時、まずは「光陰矢の如し」という言葉が本当にその通りであったという実感が湧き上がる。サークルの新歓コンパで当時の幹事長から
「うちのサークルは固定バンド制だから、一度バンドを組んだら引退までサークルを辞めて欲しくないんだけど、大丈夫?」
と尋ねられた。当時の私は(3年の冬までサークルを続けるってかなり先を見据えた話だなぁ……長いけど多分大丈夫でしょ)といった具合に考えていたのだが、誇張抜きに一瞬で約3年という月日は過ぎ去った。大学入試、入学式ですらついこの間起きた出来事のように感じるのだから、サークルだって同様だ。
ライブ中のMCでも少し話したが私は大学に入るまでテニス部だったのでバンドとは無縁の人間だった。ただ、高校生の時からひとカラが好きでお小遣いのほとんどをカラオケ通いに費やすくらいには歌うのが好きだった。今も大概だが当時は相当歌が下手でありつつも、高校3年生になり受験勉強に勤しむ頃にはすでに「大学に入ったら歌うの好きだしバンドをやってみたい!」という半ば憧れに近い思いがどんどん膨らんでいた。
2月、無事に入試を突破した。4月、晴れて大学に入学すると新歓期真っ只中のキャンパスを歩いているだけで数多のサークルのビラが手元に集まった。その中にはバンドサークルのビラも複数あった。ただ、どのサークルに行けばいいかなんてわからないし、そもそも自分はバンドサーでやっていけるのか?という不安が生まれた。完全に初心者だし、フリー制のサークルに入ったとしたらバンドを組んでくれる人がいるのかも分からないし、なんとなくのイメージだがチャラい人が多くて馴染めないんじゃないか、みたいな心配もしていた。実際、某バンドサーの新歓に行ったら新入生が(!)先輩にビールをコールで飲ませ、タバコもガンガン吸っている光景を目撃し、「これがバンドサーなのか……怖い世界だな……」と戦慄したものだ。
そんな私が「ここなら馴染めそう!」と思ったのがコナだった。固定バンド制だから人見知りを発揮してライブのたびにバンドを組めずじまい、なんてことがないし3年間同じメンバーでバンドをやれるのは楽しそう、というそんな安易な理由だったが、とにかくコナ以上に良いバンドサークルはないと直感で思ったし、新歓コンパに行ってからはコナ以外のバンドサークルは見ていなかった。コナに入れなければバンドはやらず他のサークルを探そうかな、と考えていたくらいだ。私をコナのボーカルとして受け入れてくれた2個上の代には深く感謝している。
コナでの最初のライブはご存知の通り、新入生ライブだ。私はback numberの青い春と、東京事変の新しい文明開化をやらせていただいた。back numberとか歌ってたんだね自分……。この記事を書くにあたって久々にこの時の音源を聴いたが、よくこれでボーカルをやろうと思ったな、と思わず苦笑してしまった。歌声からは緊張感がありありと伝わってきたが、先輩と組んで初めてのライブに臨んでいたわけだし、ライブ後に固定バンドを組むのだから平然と歌えるわけがない。今までのサークル人生で一番緊張した練習、ライブだった。
実はこの新入生ライブの時からこうくんにはお世話になっていた。この時、まさか自分がこうくんと固定を組むとは全く思っていなかった。この際正直に書くが、初期のこうくんのツイートがかなり尖っていたせいでこうくんは怖い人だ、という印象を持つようになり、こりゃ初心者の私とバンドは組まないだろうな……と思っていた。新入生バンドの部室練で、どういう人と固定を組みたいの?という話になった時に、「楽器隊はまだライブを聴いてないからなんとも言えないけど女ボーカルの曲が好きだから女ボーカルと組みたい」という旨のことを言ってるのを聞いて(あ、そしたらこの代の女ボーカルは私とたなひなしかいないからたなひなと組むんかな。あの子相対性理論とかが似合う声だったしザ・女ボーカルって感じだもんなぁ)と考えたくらいだ。まさか理論のりの字も出ないような曲をたなひなが引退ライブで歌ってるとはこの時誰も想像していなかったが。
一方で、バンド決め会議当日を待たずとも、組みたい人がいれば個別で声をかける、という動きもちらほら見られた。風の噂であの人とこの人がもう組むことを約束した、みたいな話を聞くたび「うげ〜〜〜やべぇ〜〜〜これ当日売れ残るかもしれんやんけ〜〜〜」と内心焦っていたが、ありがたいことに私も声をかけてもらった。それが植山だった。詳しいことは忘れたが植山とは学部が同じということとツイッターつながりで入学初期からの知り合いだ。その流れで複数人でカラオケに行く機会もあったのでそこで私の歌がどんなもんなのかは知ってはいる。それで声をかけてくれたのかなと思った。まだライブをみてないので私は植山がどのくらいベースを弾けるのか知らなかった(めちゃ弾けるみたいな噂は耳にしていた)が、純粋に一緒にバンドを組んでくれる人がいるという事実が嬉しくて二つ返事でオッケーした。
そんなこんなで新入生ライブでボーカルデビューを果たし、いよいよ固定バンド決めとなった。会議室に入るとすでに4人のボーカルの名前がホワイトボードに書かれており、その横にギター、ベース、ドラムの欄が用意されている。なんとも殺風景だ。ベースはもう決まっているけどギターとドラムで組んでくれる人がいるだろうか……不安がピークに達する。どんな曲でも歌うから、組んでくれ……心の中でそう切実に叫んでいた。
「もう組むことが決まってる人いたら名前をホワイトボードに書いていいよ」
その幹事長の一声で、妙に張り詰めた空気が一気に変わる。それまで周囲の様子を伺っていた人たちも、その言葉を皮切りに部屋の前に出て名前を書き始める。ただ、この段階ではさすがにどのバンドも欄が埋まることはなく、大半のメンバーはその場で決めることになった。
「じゃあ、こっからはとりあえず組みたい!と思う人のところに名前書いてってね、かぶったところとかは話し合いをして、決まったら印つけてね〜」
問題はここからだ。この期に及んで私から声をかけられない、とか言ってられない。誰かに声をかけなきゃ……そう思った矢先のこと。私の名前の横のギター、そしてドラムの欄に名前を書く人が現れた。それがぱいせんとこうくんだった。おそらく新入生ライブで植山のベースがうまかったのを見て、上手い人と組みたい!という二人が植山の名前が書かれた私のバンドのところに名前を書いたのだろう(他にもいろんな理由があるのかもしれないが)。なんにせよこの段階でもうメンバーが揃ってしまったので植山パワーすげえ……ありがてぇ……と頭が上がらない気持ちでいっぱいだった。
これでバンドメンバー確定かな?と思っていたが、私のバンドには忘れてはいけないメンバーがもう一人いる。それが中田だ。それまでのコナはキーボの人が固定でバンドを組むことがなく、ライブごとに参加するバンドが変わったり、そもそも参加しないライブもある、といった具合だった。吹奏楽のサークルをメインにし、バンドはサブとして考えていた中田も固定を組めるとは思っていなかったそうだが、「キーボの子とバンドを組めたらやれる曲の幅が広がる」という植山の意見(確か)によって、他の人と話し合い中の中田に声をかけたのだ。
「もしよければ一緒に固定組まない?兼サー先が忙しければ全然そちらを優先してもいいので!私はaikoみたいに可愛い声で歌えないけど、でもがんばるので……」
なんとも頼りない誘い文句を口にした気がする。最初、中田は
「いや、でもほんとたまにヘルプとしてライブに出してもらうとかでも全然良いんだけど、本当に固定組んでも良いの…?」
と遠慮がちに言っていたが、最終的には固定で組むことを承諾してくれた。
「まさか固定を組めるとは思ってなかったから嬉しいです、よろしくお願いします」と中田が皆に挨拶したあの瞬間にC¡tron!が誕生した。バンド組み会議で最初にバンドを組めたのがシトロンだったと思う。「楽しくやっていこう」なんて会話を交わしながら、無事にバンドを組めた私はほっと安堵の息を漏らしていた。
固定の初ライブである7月ライブは中田が兼サー先の用事と被って出られなかったので4人で出た。残念な気持ちもあったが、完全体のシトロンでライブに出るのがますます待ち遠しくなる。SuperflyのAlright!と中島美嘉のGLAMOROS SKY、ユニゾンの場違いハミングバードの3曲が初セトリだ。キーボがいないというのも曲選に影響しているが、シトロンらしくない異色なセトリである。そしてなんだかんだこの時2曲ギタボをしていた。GLAMOROS SKYのギタボに関しては、ネットに落ちているtabがギタボ向けじゃない、ということでぱいせんがわざわざ簡易化したものを教えてくれた思い出がある。やさC......
ライブに向けて初めて部室練に入った時、私は気づいた。
あれ?楽器隊みんな上手くない??初心者なの私だけでは??
気づくの遅いわ、というツッコミが入りそうだが、実際そうだったので仕方ない。こうくんに関しては新入生ライブの時に事変を叩けていたのでうまいのは知っていた。が、部室練で実際に演奏に合わせて歌った時に違和感というか、歌いにくさが全くなかったのでベースもギターも安定してる……と初心者ながらに実感したのだ。その時、私は嬉しさ半分、重圧半分を感じた。ずっと憧れていたバンドを組み、初めて練習に入ったことで本当に自分たちで曲を演奏しているんだ!という感動と、楽しさと、嬉しさがあったのは事実だった。しかし、バンドはカラオケではない。歌が下手だとバンド全体の完成度が低くなり、楽器隊の足を引っ張ってしまう。そういう意識があった。楽器隊皆がうまいとなるとそれは尚更である。はやく私も上手くならなきゃ、という責任感に近いものを感じたのだ。そしてその気持ちはライブを重ねるごとに強まっていった。
中田がライブに初めて出られた、すなわちシトロンとして初めてライブに出たのは9月ライブだった。が、この9月ライブはシトロンの黒歴史ライブとして名高く、話題に出すことは固く禁じられている(嘘)。私が喉を枯らしてまともに歌えなかったこと、暗譜が間に合わずボロボロの演奏、という内容で逆に思い出深いライブだ。せっかくの中田お披露目ライブだったのに……と、思い返すとかなり申し訳ない内容だったと思う。
ただ、この時の部室練を通して中田が絶対音感の持ち主でキーボもがっつり弾けることがわかったので、これは3年間固定としてやっていけば、引退する頃にはかなりいい感じのバンドになるんじゃないか、という予感を得た。きっと他のメンバーもそれに近しいものは感じたと思う。
ちなみにこの時のセトリはフジファの夜明けのbeat、aikoのLoveletter、ZONEのsecret baseである。特にsecret baseの爆死っぷりは最初で最後のものだった。基本ライブの音源は必ず一回は聴くのだが、この時の音源は一度も聴いてない。
ZONE Secret Base 〜君がくれたもの〜(English Subs+Romaji+Kanji)
9月ライブで爆死した悔しさをバネに臨んだのが早稲田祭である。けいおんのNo,Thank You!と阿部真央のふりぃ、そして事変の透明人間というセトリだ。シトロンといえば事変とかアカシックとかaiko系統の曲をよくやる、自他共に認めるおしゃれバンドだ(よね?)。そんなシトロンが初めて事変をやったのが早稲田祭での透明人間なのだ。エモい……。個人的にはけいおんのギターを弾くぱいせん、というのがレア度高くて面白いなと思っている。外部の人が見にくる初めてのライブで、緊張で声が震えたが聴きにきてくれた人から「シトロンのベースうまかった」とか「1年生バンドの中で一番バランスがよかった」とか「歌うまいんだからもっと自信持って歌っていいと思うよ」とか、そんなコメントを直に聞けたのが嬉しかったしモチベーションが高まった。
そしてこの頃からボーカルの声質、歌い方に合わせた選曲ではなく、楽器隊を押し出せるような選曲をしてもいいんじゃないか、という方向へシフトしていった。私としてはせっかくかっこいい楽器隊がいるのだからその選曲の仕方は大歓迎だったしそうした方がますますシトロンが良くなると確信していた。が、そこで初めて壁にぶちあたる。それが、あまりにも私と声質の違うアーティストの曲はどう歌えばいのか、という悩みだった。バンドを始めたばかりの頃はそこまで考えが及んでいなかったが、演奏のクオリティが高い楽器隊がいるのだから歌も原曲に寄せないと聞いてる側は違和感を覚えるんじゃないか?と気になるようになったのだ。実際、全体を通してバンドメンバーは私の歌い方とか声質をある程度考慮した上で曲を提案していたことが多かったように思う。 が、やはり毎回私の歌に寄せた曲をやるとは限らない。
早稲田祭の後の固定ライブはクリスマスライブだが、この時にパスピエのS.Sをやった。エス🔥エス🔥さらって😈さかしまなポーカフェイス🔥。このパスピエをやるとなった時、かなり葛藤した。というのも、パスピエは誰がどう考えても私の歌よりもたなひなの歌の方がしっくりくるし、当時のたなひなはパスピエが好きで良く聴いている、とのことだったので私の歌が正解になることは絶対にないのではないか、と思ったのだ。そもそもバンドに正解、不正解なんてあるのかいまだにわからないが、とにもかくにも練習している時に楽しさよりもモヤモヤを強く感じた曲はバンドを始めてからこれが初めてだったかもしれない。
そんな葛藤から私を救い出し、そして引退するまで支えてくれた言葉がある。それが、いつの日か植山が言っていた
「別に原曲に寄せなくても良いんじゃない?原曲と違っても面白いだろうし、黒木バージョンってことで」
という言葉だ。おそらくこれを言った本人は覚えていないだろうし、大して深い意味を込めていなかったのかもしれないが、「他の人が歌った方が良いとか考えず、私は私の歌でバンドをやってもいいんだ」と許された気がしたのだ。このクリスマスライブ以降も私の声、歌い方とはイメージの違う曲をやることがあったが、その度にこの言葉を頼りに歌い続けることができた。だからといって完全に原曲を無視するということはせず、下手なりに歌い方のニュアンス、込める気持ちを変えていったつもりである。特に引退ライブではバラードもあったのでいつも以上に意識したが、果たして一年生の時から成長できていただろうか。
2年生に進級すると初めての新歓ライブがある。この新歓ライブで初の耳コピ曲であるねごとの黄昏のラプソディ(下の動画の3:20~)を披露したが、この頃には「いや、楽器隊ほんとすごいな……」という尊敬の念がかなり強くなっていた。ちなみに、引退ライブの部室練でも「ねごとが今までシトロンでやった曲の中で一番うまくできた気がする、音源聴いててバランスいいと思った」と植山が言っていたのできっと完成度が高かったのだろう。そんなこんなで、この頃には「シトロンのボーカル」というよりも「シトロンの楽器隊のファン」と形容した方がより自分の立ち位置が正確に表せているんじゃないか、と思うようになった。
そして。尊敬の念が強まったことが引き金となり、新歓ライブを終えたあたりから私は暗黒期に突入した。バンド内でトラブルがあったわけではない。本当に自分勝手な話だが、単刀直入に言えばシトロンのボーカルを務めることが重荷だと感じるようになったのだ。ライブをするたびにちょくちょく耳に入る「シトロンってうまいよね」という褒め言葉ですら、私にはきつかった。なんというか、自分の歌に自信がなさすぎるのが全ての元凶なのだが、その時の私は自分が歌えば歌うほどシトロンの足を引っ張っているんじゃないか、という地獄のような思考に陥っていた。まさに1年の7月ライブで感じたあの重圧が限界点を突破して一気に襲いかかっていたのだ。
さらに、同期の女ボーカルであるたなひなはちゃんと歌い方にキャラというか、らしさというか、ちゃんと他のボーカルと差別化できているスタイルがあって、バンドで映えていた。それに比べ、自分はどうだろうか……と考えることも増え、そのたびに辛くなった。たなひなからすれば勝手に比較対象にされ、勝手に病まれてたまったものではないかもしれないが、ボーカルの方向性が違うとはいえやはり唯一の同期の女ボーカルということもあってかなり比べてしまう時期もあった。
だから、前撮りの都合で7月ライブに出られないとなったときは内心すごく安心した自分がいた。ひとまず7月は歌わなくて済むんだ、と開放感すら感じていた。
ただ、9月ライブが近づくとまた憂鬱な気持ちが募っていった。7月ライブはインストと中田のキーボボーカル、そしてそらくんをヘルプで呼ぶことでちゃんとバンドとして成立していたから、私が歌わんでもいいのでは?という無責任な考えも生まれていたのだ。かなりクソなボーカルである。
あぁ、「楽しくやる」ってなんだろうな、とバンド組みの時の会話を思い出しながらぼんやり自問自答するようになった。純粋に音楽をやってる瞬間を楽しむこと?バンドとしての完成度を高めること?ひたすら巧さを追求していくことなのか?完全にわからなくなっていた。「楽しさ」が何を指すのかわかっていなかったが、間違いなくその頃の自分はバンドを楽しいと思えなかった。引退までまだ一年以上あるけどこのままバンドをやりきれるかな、楽しくないのにバンドをするのは他のメンバーに対して失礼ではないか、辞めた方が悩まずに済んで気が楽になるんじゃないか……なんて考えが何度も脳裏をよぎる。完全に一人で暴走して沼にどんどん沈む構図である。別に他人から何か言われたわけでもないのにここまで悩めるのはある意味すごいよ、と当時の自分を笑い飛ばしてやりたいくらいだ。
と、こんな感じで泥沼にズブズブだった私がどうやってそこから抜け出したのか。それは他でもない、シトロンのおかげであった。シトロンのことで悩んだのに、シトロンに救われるあたりやっぱり自分はバンドメンバーに心底惚れ込んでいるファンなんだな、と痛感した。すなわち、悩んだ自分はシトロンのボーカルとしての自分だったが、救われたのはシトロンのファンとしての自分がいたからこそだと思うのだ。きっかけは9月ライブの部室練での出来事だった。
9月ライブの部室練のために学館に向かう足取りはかなり重かった。初の合わせ練習だったが、きっと楽器隊はいつも通り難なく通しで演奏できるんだろう、私は音が怪しいところもあるし上手く歌えないけど……と卑屈な気持ちしかなかった。特に9月ライブでは私のリクエストが通って事変の電波通信をやることになっていたが、リクエストしておきながら肝心の自分が完成度一番低いんだろうな、と考えてしまいバンドで合わせることを楽しみにする気持ちよりも苦しさの方が優っていた。
そんな暗い気持ちで部室に入ると、そこには4月の新歓ライブ以来に集まったシトロンのメンバーがいた。いつも部室練では中田が場を和ませてくれるのだが、その時も例に漏れず中田が他愛のないことを言っていた。特段面白いことを言って場を湧かせていたわけでもないのだがそれがたまらなく私の黒く凝り固まった心を溶かした。そして、いつも通り「まずは一回合わせてみようか」という植山の一言で私の大好きな電波通信を、4人が演奏し始めた。
鳥肌が立った。思わず口元が緩んだ。いや、もうなんなんだうちのメンバーは、と。単純に楽器が上手いというだけではなく、4人の演奏からまとまりを感じたし、こんなに最高なメンバーと一緒にバンドを組んでいるのはすごく幸運で恵まれた事なんだと衝撃が走った。それと同時に、この楽器隊の演奏で歌えるのはシトロンのボーカル、私だけなんだと気づくとどうしてあんなに下らないことで悩んでいたんだ、と思えた。自分の歌が下手だとか、完成度がどうとか、そういうことを気にして楽しくなるわけがない。バンドなんだから自分の歌だけ気にしたって仕方ないのだ。「4人が演奏する音を楽しむ」のが一番大事で、その演奏に乗せるように歌わないともったいないと気付かされた。バンドを辞めるなんてもってのほかである。この4人の演奏を一番近くで聴き続けたい、だから引退まで私はシトロンで歌おうと、そう思えた途端に一気に目の前が開けた。
暗黒期を抜け出せた私は、また1年生の時みたいにただただ楽しくバンドができた。自分の歌のことで悩むことがなくなったわけではないが、それでも4人が演奏するのを聴くたびにワクワクしたし、このメンバーでどこまでいけるのかが知りたくてしょうがなかった。御祭騒ぎは2年の早稲田祭でやったのだが、おそらくこのあたりの選曲から中田のキーボが鬼畜の筋肉ゲーになり始めた気がする。初めてボーカルエフェクターを使ってラジオボイスにしたのも御祭騒ぎでした。そういえば初のCymbalsも2年の早稲田祭でしたね。コミュニケーションをブレイクするダンスもしました。
2年の早稲田祭が終わるとあっという間に2度目のクリスマスライブを迎え、1つ上の代が引退した。こう見えて涙もろいので先輩たちのエモシーは結構ジーンときたし、特に温野菜のめるさん、ももさんがライブを終えた後に泣きながら抱き合っているのを見て大きく心揺さぶられた。引退の時にそんなに感慨深くなれるほどサークル、バンド活動に思い入れがあるんだな……と二人の胸中を推し量ると、自分もああいう涙を流したいな、とふと思った。この時に自分たちの引退を初めて意識したかもしれない。一年後の引退ライブでは、どんな気持ちでどんな曲をやるんだろうか、と。3年になってからの部室練でもちょくちょく「ゆーて引退は泣かないっしょ、このバンドの人皆ドライだからな〜」みたいな会話をしていたが、そんな中でも私は(や、自分は泣くかもな……)と内心思っていたのは内緒だ。
さて、一個上の代が引退したということは、私たちが幹部代になり、これまで先輩たちが作ってきたコナを引き継ぐことになる。私はヒラ部員ではあったが、ちゃんと新歓期に新入生を集められるだろうか、3年生バンドとして魅せることができるだろうか、なんて色々思いを巡らせるようになった。ただバンドを楽しむだけではなく、後輩の存在を意識してライブに臨まないといけないんだな、という幹部代としての覚悟が芽生えたのだ。特に「新入生をしっかり新歓する」という部分はコナの存続にかかってくる部分だったので新歓ライブのセトリはかなり気合いを入れて考え、練習も普段より力を入れた。アイス休憩が大好きなシトロンが、この時はアイスも食べずひたすらnight museumをループして練習したのも良い思い出だ。部活並みの熱量あったね……。この時期は同期と顔をあわせるたびに頼むからドラム入ってきてくれ〜なんて言ってたのが懐かしい。
そしていよいよ3年に進級し、2度目の新歓ライブを迎えた。この新歓ライブには忘れられないエピソードがある。この時のセトリは以下の5曲だ。
・夢見る隙間/aiko
・怒れる小さな茶色い犬/Cymbals
・night museum/カラスは真っ白
・SUPERCHARGER/PENGUIN RESEARCH
【PENGUIN RESEARCH】SUPERCHARGER MV
シトロン全開な4曲と、キメる感じの心臓アフターバーナーで挑んだのだが、この時のライブを見てコナに入ることを決めてくれた後輩がいたのだ。それがかわしぃだった。おそらく自分は後輩から見たらかなりとっつきにくい先輩だったと思うが、ありがたいことに仲良くしてくれる可愛い1年生の後輩ができた。それだけですでにめちゃくちゃ嬉しいのだがその中でもかわしぃは私の中で特別な後輩だった。かわしぃはロマーノのコンパでも卓が一緒で、喋るのが苦手な私が一生懸命新歓した1年生だった(かわしぃが話してくれるので助かった)し、新入生ライブも一緒に組んでSCANDALの少女Sをやった。あの新入生バンドは本当に楽しかった……。パピコを半分こして食べたりオムライス食べたりたざわとゆるくギターを一緒にできて青春してたね、練習のたびに徐々に曲として完成していく過程が肌で感じられてすごくよかった。
少女S / Shoujo S / SCANDAL 2015-2016 PERFECT WORLD / 歌詞 lyrics furigana
かわしぃはコナに入った時、そして引退でもらった寄せ書きアルバムでこう伝えてくれている。
「自分がバンドサーに入ろうと思ったのはC¡tron!の演奏を聴いてだったので」
それまでは自分たちにとって満足のいく演奏ができたか、ということに気を取られがちで聴いた人たちがどう受け取ったか、ということまであまり意識していなかった。けれど、このかわしぃの言葉をきっかけにライブに臨む時、そして歌うときに込める気持ちが大きく変わった。もっと自分たちの演奏を聴いてくれ!!という思いが強まったのもこれがきっかけである。
大げさかもしれないが、自分たちのライブを聴いた人に「何か」を残すことができるようなバンドになったんだ、ということが一番実感できて本当に嬉しかったし、そういう「何か」をどんどん聴いている人にぶつけられるようなライブをしたいと考えるようになった。だから、あの新歓ライブは自分にとって特別なものだった。
7月ライブを迎え、1年生の固定バンドがお披露目となった。固定バンドでの初ライブを見るのが一番好きかもしれない。固定としてのスタートを切る瞬間をこの目で見て、これからどんなバンドになっていくのか見守れるのが良いよね。1年生は初心者が多いと聞いていたがバンドパッションの高い子が多く、どのバンドも初ライブなのにめちゃ良い感じに演奏していてかなり刺激を受けた。自分も3年生として頑張らないと、後輩から目標とされるようなボーカル、バンドでありたいな、なんて厚かましくも思っていた。7月ライブでやった曲の中だと、事変が好きというシシィ〜を結構意識して歌った心は先輩バンドとしての底力を見せたるぞ、という気持ちが私の中にあった。
実はこの7月ライブを機に、私はライブ中に楽器隊を意識的に見るようになった。きっかけはフォトページでぱいせんがめちゃめちゃ激アツにギターを弾いている様子を目にし、ギュンときたからだ(語彙力)。それまでは歌っているときに周りを見ている余裕がなかったのだが、普段メンバーはどんな感じで演奏しているんだろう、と気になり、思い切って見るようにしたのだ。部室練の時も壁の方を見て、耳で音だけ聴いて練習をしていたのでライブの時に演奏をしているメンバーを見るのが密かな楽しみになった。個人的にはやはりぱいせんがギターを楽しそうに弾いているのを見るのが一番好きだった。こうくんも中田も植山もどちらかというと冷静な感じで演奏しているのだが、ぱいせんは曲の展開に合わせてノリ方が変わるのがすっごくよかったのだ。
ぱいせんが楽しそうにギターを弾いているのを見るのが好きな理由は他にもある。基本的にシトロンの曲選は、ぱいせんが普段聴く曲の趣味とはズレたものが多かったんじゃないかと思う。とはいえぱいせんは曲決めの時もあまり主張が強くなく、たまに曲を提案する時もごく控えめだった。曲決めで決まった曲を毎回弾きこなしてくれているが、果たしてぱいせんはシトロンでギターを弾いてて退屈に思っていないか…?と何度も気になった。けれど、そんな私の心配はあのライブ中のぱいせんの姿を見るたびに振り捨てられた。どこかホッとするというか、嬉しさというか、そういうのがごちゃ混ぜになった感情でいっぱいになったのだ。だから、ライブ中はギターを見ることが一番多かった気がする。激エモギタリストぱいせんの姿を見ることで私はより歌に入り込むことが出来た。
ちなみに、7月ライブでやったキノコホテルのもえつきたいのはぱいせんが「ちょっとやってみたいかも」と提案した曲なのだが、曲を聴いた瞬間にかなり好きになり、ワンマンにも行くほどハマった。これ以外にも良い曲がたくさんあるのでぜひこのブログを読んだ人は聴いてほしい。私はおねだり・ストレンジラヴもすこである。
キノコホテル「もえつきたいの」 PVフル - kinocohotel -
7月ライブを終えると残りの固定ライブが9月、早稲田祭、そしてクリスマスライブしかないことに気付き、いよいよ引退を視野に入れて残りの選曲を考えるようになった。3年生に入ってからはもう自分の歌い方がどうとか悩むことが皆無になり、そんなことよりも4人が演奏する曲をたくさん聴きたいし他の人にも聴いてほしいという気持ち、つまりバンド愛の高まりがとどまるところを知らなかった。
特に、現役最後の早稲田祭で一旦エモの頂点に達した。早稲田祭のセトリはバチバチのおしゃれ系で固めよう、ということで
・デモクラシークレット/パスピエ
・My Patrick/Cymbals
・女/アカシック
・本能/椎名林檎
・丸の内サディスティック/東京事変
の5曲になった。アカシックの女は中田がどうしてもやりたい、と早稲田祭以前から推しに推しまくっていた曲で、ようやくここで実現することとなった。
3年のアー写は自撮りで撮ろうと2年の時から言っていたのでカメラマンを呼ばず、小学校居酒屋に行って歩く自撮り棒こと植山が撮ってくれた自撮りをアー写に採用した。ちなみに、バンドメンバーで飲みに行ったのは何気にこの時が初めてである。飲みにいくよりも先にメイドカフェに行ったバンドはおそらくシトロンだけだろう。
早稲田祭のセトリの曲はどれも歌ってて本当に楽しくて、練習に入るのが待ち遠しかったし、早稲田祭本番のライブでは多くの人に見にきてほしいと思った。それまでは緊張するからあまり知り合いに見られたくない、という気持ちが若干残っていたがこんなにバチバチのライブを見ないなんてもったいない、見にこなきゃ損だよ!何よりもかっこいい楽器隊の演奏を一度でいいから生で聴いて欲しい、という思いが爆発していた。
そんな私の気持ちが通じたのか、早稲田祭当日はおかげさまで多くの人がライブに足を運んでくれた。そして、早稲田祭リハライブよりも満足のいくライブができ、かなり達成感があった。ライブを終えた後、聴きにきてくれていた学部の友達から「本当にうまかった、固定ってすごい」「昔一回ライブを見たときよりも歌がうまくなってた」という言葉をかけてもらい、あぁ自分もちゃんとシトロンで成長できていたんだな、と思えて嬉しかった。
なによりも、早稲田祭のライブでの演奏はいつも以上に演奏の息が揃っているというか、一体感をビリビリ感じていて、もはや演奏を聴くことに心地良さすら感じていた。女のフュージョンは激アツかったし、歌ってて気持ちよかったのだ。個人的には丸の内サディスティックが結構気に入っている。
そして、一番感慨深かったのが大学1年の時から早稲田祭を見にきてくれていた友人からのラインだった。
互いの背中を任せあっているような一体感、というのは固定バンドでなければ絶対に生まれなかっただろうと思うし、それが見ている人に伝わるようなライブができたことで、いよいよシトロンとして有終の美を飾るのに相応しいところまで来てしまったな、と実感したのだ。本当に終わりが近いんだな、と思うとなんだか少し寂しさもあったがシトロンがラストの瞬間を迎えた時、どんな姿を見せるのかということが掴めるところまできたことは喜ばしくもあった。
そして、引退ライブ。1人1曲やりたい曲をやって引退しようということで曲を決めた。なので、当初は5曲やる予定だったのだが、忙しくて1曲は泣く泣く削ることになった。削ってしまったのは植山が挙げたCOSMIC BOX/YUKIである。この曲、2年の夏頃からずっとやりたいと言い続けて温めてきた曲だったのだが出来ずじまいだったので復活ライブまで持ち越しになるのだろう。引退のエモエモセトリは以下の4曲である。
・幸せじゃないから死ねない/アカシック→中田
・私生活/東京事変→こうくん
なんとなく誰がどの曲を挙げたのか、プロのサークル員なら分かったかもしれない。この引退ライブに関しては27日にやったあのライブが全てだ。史上最高に「楽しく」ライブができたし、それは楽器隊の演奏からも明らかに伝わってきた。部室練の時にはなかった気迫のようなもの、一体感、そういうものがあの時の演奏に全て込められていた。
— 中原 航 (@knack0422) 2017年12月29日
特に、群青日和を演奏する前に私が言った、
「引退前最後のシトロンをその目でしかと焼き付けろって感じですね」
というセリフ、かなりふざけたことを言ってんなコイツ、と思われたかもしれないがあれは誇張でもなんでもなく本心から出た言葉である。あの群青日和を見て何か感じてくれた人が一人でもいれば、本望である。
ただ、引退ライブに関してもう一つ語りたいことがある。こうくんのことだ。ご存知の通りこうくんは忙しいリコキャンの民でありながらバンドサーを複数兼サーしており、コナ以外でライブをやる機会がたくさんあった。ドラム、バンドへの熱意は誰よりも強かったし、かなりストイックに音楽と向き合っててすごいな、と常に感心していた。だからこそ、私はこうくんが一番怖かった。もう少し正確にいうと、音楽に真剣なこうくんにとって、シトロンはどんなバンド、居場所だったのだろうか、と。それを知るのがずっと怖かった。たくさんバンドを組んでいればそれだけ音楽を表現できる居場所が多いことを意味しているし、それらを比較することだってできてしまう。こうくんは多くを語る人ではないから、何を考えているのか全て掴みきれないことが多かった。シトロンでドラムを叩く時、何を考え、何を感じているのか。固定を組んだことを後悔していないか、なんてことをかなり長期にわたって思案していたのだ。
でも、この答えは群青日和の演奏で全部知ることができたと思っている。青く燃えてゆく東京の日、とラストのフレーズを歌いきって後奏を聴きながら、もう終わってしまうんだな、なんて思いながら演奏しているメンバーの姿を目に焼き付ける。ギターを弾くぱいせん、キーボを弾く中田、ベースを弾く植山。そして、最後にくるりと振り返りドラムを叩くこうくんに視線を送る。その瞬間、息が一瞬止まった。今まで、私は冷静かつ正確にリズムを刻むこうくんしか見たことがなかった。それは早稲田祭の時ですらそうだった。が、その時私が見たのは全身全霊、感情を込めてドラムを叩くこうくんの姿だった。楽しそうな笑顔を浮かべながら、残りわずかな演奏に全てを賭けて叩いているのを目にしたあの瞬間が一番「あぁ、引退ってこういうことなのか」と実感し、目元が潤んだ。きっと、どのメンバーもシトロンに愛着があったんじゃないかな、と最後の最後に思えたし、それが本当に愛おしかったのだ。
自慢の固定バンドです pic.twitter.com/b5JbVQJgDJ
— 中原 航 (@knack0422) 2017年12月27日
ステージを降りると、たくさんの人が温かい感想、言葉をかけてくれた。そして、飲み会では嬉しい寄せ書きがいっぱいのアルバムもいただいて、3年間シトロンとしてやりきってよかったな、と心の底から思えた。
そして、帰りの電車で中田からもらった手紙を読んだ。キーボで固定を組めるとは思っていなかったことやバンドが楽しくて2年の途中で吹奏楽をやめ、コナ一本に絞ったことが書かれていて、そんなこともあったなぁと懐かしくなった。バンドが楽しい、と思えたきっかけがシトロンだったのが嬉しかったし、中田がいたからこそシトロンのカラーが生まれたと思っているのでシトロンを語る上で欠かせない存在だったなぁと改めて認識した。シトロンの代名詞とも言える事変もアカシックもaikoもCymbalsも、キーボの中田がいなければやることはできなかった。シトロンの可能性を広げてくれたのは他の誰でもない、中田だった。バンドメンバーという関係にとどまらず、いろんなところに気軽に遊びに行ったり美味しいものを食べにいくことが多かったし、価値観、考え方も共感することの多い一人の貴重な友達として仲良くできたことも、コナに入ってシトロンでバンドを組めたからこそだと思っている。バンドはしばらくお休みになるが、いつでも遊びに行きたいし就活が終わったら今度こそ旅行をするしかない。この場を借りて手紙の返事としよう。笑
……と、こんな感じで無事にサークルから引退したが、これで終わりではない。1年後の早稲田祭に望まれなくても復活する気満々だし、ライブも見に行きたいな、と思っている。なんなら永遠に不潔な銀魂バンドのために企画ライブに顔を出すまである。ぜひ疎まず温かく受け入れてほしい。
このブログで言いたかったことは、エモい!!!!!の一言に尽きます。こんな感情の勢いだけで書き進めた駄文をここまで読んでくれてありがとうございました。
大学デビューの結論としての黒髪ショート
黒木といえば黒髪ショートカットだ(知らなかった人は今覚えておこう)。
黒髪ショートカットというのはおしゃれに無頓着な自分がこだわっている唯一の部分でもある。
今日はそのこだわりの話を少し。
中学、高校の時も一時期はセミロングだったが、基本的にショートだった。
当時ショートにしていた理由は単純、「楽だから」である。
ロングヘアーだと髪を乾かすのも大変、不器用だから上手に自分の髪を結べないし、結べてもひどく不恰好な出来になる。だから、切ったら切りっぱなしのショートが面倒くさがりな私に一番適した髪型だったのだ。
あとは、きっと当時からもショートに愛着というか、親しみというか、好感を抱いていたなぁと思う。そういう感情含めてショートでいるのが楽だ、と感じていたのだ。
そんな私に一度転機が訪れる。受験勉強に明け暮れていた高3の秋頃、勉強の合間に、無事に大学生になれたとしたらどんなキャンパスライフを送れるだろうか……といった空想をよく繰り広げていたのだが、その空想を何度も巡らせた結果、「ロングヘアーになって大学デビューしよう」、という結論が自分の中で出たため、髪を伸ばし始めたのだ。
ロングヘアーにしようと思った理由も単純だ。ロングヘアーの方が男受けが良い、女の子らしく見えるという世の風潮に素直に自分も乗っかろうと思ったのだ。周りがそうだから自分もそうしよう、という同調意識そのものである。今思うと非常に情けない話だ。
それからというもの、何度も湧き出る髪を切りたい欲を赤本を解く事で紛らわせ、そのまま入試当日を迎え、無事に大学に合格し、晴れて何度も夢に見たキャンパスライフが春から始まることになったのだ。この頃にはもう髪を切りたい、と思うこともほぼなかった。そりゃそうである、なんせ「ロングヘアーで大学デビュー」、が現実になる日が目前に迫っていたからだ。
実際大学に入学した頃はロングではなく、せいぜい肩につくかつかないかくらいのセミロングの長さだった。ロングと呼ぶにはまだほど遠いものの、しかし当時の私はこれで私の華のキャンパスライフは完璧である、とすら思い込んでいた。ほんの数センチ髪が伸びただけなのに、だ。
しかし、入学してから1ヶ月ほど経った時、私は現実に直面する。
当たり前だが、人というのは環境が大きく変わったところで自分まで大きくいきなり変わることなんて不可能なのだ。いや、手っ取り早く変えられるような外見……例えば髪の毛を明るく染めてみたり、ワックスで髪を盛るとか、気合い入れて化粧して不自然なくらいにケバくなっちゃうといった試行錯誤を経て雰囲気をガラリと変える、といったことは出来る。また、最初だけ頑張って今までの自分とは大きく異なるようなキャラで人と接することはできるだろう。
しかし、それらはやはり全てハリボテとまでは言わなくとも、目に見える表面の部分だけの変化であり、自分を自分たらしめる根本的な部分の変化とは異なる。
自分に似合っているかどうか、を考えず、手っ取り早くイメチェンしたい!周りも染めてるし!といったテンションで髪を染めた人なら、どうしてもその人自身の魅力を引き出せないような、没個性的な髪型になってしまうことが多々あるだろうし、それらしき人を春のキャンパスで何人も見かけるものだ。逆に言ってしまえば、自分に似合う髪色に染めたなら、それは自分の新たな魅力の開花であり、本当の意味での自分自身の変化と呼べるもので間違いない。そして、外見に関してはいくらでも試行錯誤を重ねられるため、まだ良い。
特に問題なのは高校の時とは全く違うようなキャラへの方向転換を試みるケースだ。
実際、入学を機にキャラのマイナーチェンジ、くらいが現実的であり、成功率も高いのだが、やはり新しい環境で生活するなら今までの自分を捨てて、新しい自分に生まれ変わろう、なんて思うのだろう、大幅なキャラチェンジを目論む人が一定数いる(私もその内の一人である)。これは、関係が浅いうちならまだいいが、そこから話す機会が多くなってきたり一緒に行動することが多くなって仲が深まりはじめる頃には大抵ボロがではじめる。何故か?答えは簡単。例えば十数年間人見知りとして生きてきた人間が、たった数週間、一ヶ月ほどで誰とでも隔てなく話せる社交的な人物になりうるだろうか?全くないとは言い切れないが、限りなく難しいに違いない。それが出来る人は元から社交的な人物としてのポテンシャルを持っており、大学入学を待たずに皆と仲良くする事ができる場合がほとんどだと思うのだ。
長年自分に染み付いていた性格はそう簡単に変えられない。それが自分の悪い部分だったとしても、それ含めて自分を自分たらしめている要素なのだから、簡単に変えられるわけがないのだ。基本的に今の自分というのは、一番自分が居心地よく、平穏に生活できるような思考、行動、性格から成り立っている。それをリスクを冒してわざわざ変えようとするのは生半可な覚悟では難しいものである。仮に変えようと行動に移せた場合でも、その新しいキャラが今までの自分とは相反するものだったら、自分自身が一番違和感を抱く。その違和感を咀嚼し、吸収できない場合はそれを自分の中から排除しようとする(つまり元の性格であり続けようとする)。まるでアレルギーに対する免疫反応のようだ。
とにもかくにも、上記の理由から、短期間で無謀なキャラチェンジを試みる場合、多くの場合は中途半端なキャラになるか、結局変われないかの2パターンの結末で落ち着いてしまうのだ。しかも厄介な事に、入学初期においては、相手がどんな人、どんな性格なのかを知る事は、今後の人間関係を構築する上では欠かせない行為になってくるため、大抵の人は何度か関わった人のキャラをある程度把握しようと努力するのだ。そのため、接し始めからしばらく経った頃に、キャラチェンジの失敗を理由に(相手は、キャラチェンジの事実すら知らないことを念頭に置かねばならない)、キャラチェンジのキャラをさらにチェンジさせる、もしくは大学入学前の本来の自分に戻る(これも相手からすればキャラチェンジと捉えられる)、といったことをすると、どれが本当のキャラなのか?いまいちどういう人なのか掴みにくい、といった印象を相手に与える可能性があり、円滑な人間関係の構築の障害になるかもしれない。
これらのリスクを踏まえたうえで、本当に自分はキャラチェンジをするのか否か、といったことを検討するのが安全であり自分自身のためでもあるのだ。(もしこれを読んでいる人のなかに、大学入学じゃなくとも、何かしらの転機に乗じて「自分改革」をしようと考えている人がいるなら、このことを一度自分に当てはめて考えて欲しいと切に思う。)
これらの現実があることに、当時の自分はそこまで考えが及ばなかったのだ。
いや、及ぶわけがなかった。繰り返すようだが、髪をセミロングにしただけで何もかもうまくいくと思い込むくらいには脳内お花畑状態だったのだ、その私が冷静に物事を考えられるわけがないのだ。
私が大学デビューしようとした内容には、先ほどから挙げている「髪の毛を伸ばし少しでも女の子らしくなる(男受けのいい外見を目指す)」に加え、「コミュ障を克服し、男女関わらず多くの友人を作る(人見知りの克服)」といったものがあった。今の私を知っている読者であれば、この時点で多くを察しただろう。
入学してすぐの頃は、女子大生なんだから、とそれまでまともにやったことのなかったメイクを毎日欠かさずしていたし、初対面の人相手でもなんとか接しようとした。自分から人と接する機会を増やそうとしたこと自体が冒険に近いものだった。
高校の頃みたいな、地味で誰からも興味を持たれないような人物から変わり、色んな人と仲良く関わり、勉強も恋愛もバイトも充実した生活を送るための「自分改革」期間であった入学当初というのは、期待と楽しみの気持ちは確かにあった。けれど、それ以上に新しい環境に慣れようとすることと、自分を変えるために慣れないことをし続けるダブルの疲れが想像以上のものであり、それは着実に私の中に蓄積していった。
入学から1ヶ月も経つ頃には、もう、夢から醒めていた。
冷静に考えて、私が高校生の時に絶望的にモテなかったのは、髪の長さの問題ではなく、極度に緊張して異性とまともに話さない、話そうとしなかった点にあったではないか。なぜその決定的な理由を見落として、受験生だった頃の私は髪型を変えればきっと彼氏ができると思い込んでしまったのか?受験勉強の疲れで判断力が鈍ったのか、はたまた無意味とわかっていながらも、自分がモテない理由をどこかに転嫁したかったのかもしれない。
しかも、人見知りを変えようと入学してから自分なりに努力していく中で、広く浅くの人間関係が一体自分にとって何の良いことがあるのか?とふと疑問が浮かんだのだ。人間関係は損得勘定で築くものではないと理解しているが、それでも、仲良くなりたい、もっと相手のことを知りたいと思えない人と無理に関係を維持していく労力が無駄だと感じたのだ。今後仲良くなるのかわからない人のために精神削ってまで接する必要はあるのか?時間をかけてでも、自分と気の合いそうな人を見つけ、その人と深く仲良く接していけば十分ではないか?という考えに行き着いたのだ。
そう気付いた時、私は私の好きなように生きるのが一番である、と痛感した。
世の中の風潮、大多数の考え、はそれとして存在しているが、それらが一体私にどう影響を与えようというのか。量産型ファッションのように、一見したらどれも同じに見えるような没個性の枠組みの中になぜ自ら進んで入る必要があるのか。「世の普通」「普通の大学生」の枠に入って自分を殺すくらいなら、枠の外で、自由気ままにやる方がよっぽど楽しいに決まっている。
そう、自分がこうありたい、こうしたい、という明確な考えがあるならば、それを貫き通すべきなのだ。外野の声に耳を傾ける必要はない。そして、世の中に大多数がいるならば、少数派も必ず存在しているのだ。自分を理解してくれる少数派と出会い、その人たちと仲良くすることができれば、これ以上望むことがあろうか。大学に入学してからもうすぐ3年経つが、私は幸いにも自分を自分として認めてくれる友人に出会えたため、それだけでこの大学に進学して良かったと感じている。(相手が自分のことをどう思っているのか、を考え始めるとキリがないため相手も自分と同様に思ってくれてることを信じるのみだ。)
このことに気づいた私は、せっかく伸ばしていた髪を切り、ショートに戻した。
そこから今日まで、ずっとショートヘアーである。
今、私がショートヘアーにしている理由は、「ショートが好き」だからだ。
ショートは男受け悪い、と腐る程聞いてきた。彼氏が欲しいな、とよく思う私にとって、男受けの悪い髪型をすることは自分にとってマイナスであるはずなのだ。
でも、ショートの髪型が一番自分に似合っていると思っているし、ショートの女性を見ると、かっこいいな、と思うのだ。かわいい女の子、よりもかっこいい女の人、に憧れる私は、自分もショートにして、かっこいい女の人に形だけでも近づきたい、と思っている。そのためなら男受けなんて二の次である。むしろ、ショートが好きじゃない男はこっちから願い下げだわ!という勢いである(私に願い下げされてもダメージを負う人がいないのも分かってて書いてる)。
髪の毛を黒髪のままにしているのは、黒髪ショートがかっこいいと思っているからだ。
黒髪ショートというのは、周囲の流行り、一般的な受けの良さを無視し、自分が自分の好きなように生活をしていることの表れなのだ。
茶髪のパーマのかかったかわいい女の子が好きな大多数の男の好みになるのではなく、自分の好きなように生活した結果、ショートでかっこいい女の人が好きな少数の男の好みになっていた、というのを目指したいし、そういう男の人と付き合えたりできれば、正直私の大学生活はもう満点である。
私の黒髪ショートにはこんな背景がありましたとさ。
変容する自分 と 取り残される心
初更新。思い立って開設。
ブログ自体は中学生の時に頻繁に更新していたから、テーマは違えどこうしてまたまとまった文章を好きなだけつらつらと書いて投稿する場ができたのは懐かしい気持ち。
高校、大学では専らツイッターに耽ってしまい、文章の推敲にさほど気を使わなくて済む短文投稿に慣れてしまい、読む相手を意識した文章を書く機会が減ってしまったことに少し危機感を覚えたのがこのブログを開設した理由の一つだったりします。
このブログでは、この時期の自分だからこそ悩むようなこと、うまく表現できないような「なにか」を、他の人に共有できるように、もしくは言葉を用いて一つの表現を与えることで自分自身を納得させるために、言語として、文章として「なにか」を昇華しようと試行錯誤する場になるかと思います。内容自体もありきたりなものになるかと思うので目新しいものを求める人には向かないかも。気が向いたり暇な時に覗いてくれれば嬉しいです。
さて、そろそろ本題に。
初回の更新は「変容する自分 と 取り残される心」について。
いわゆる過渡期ってやつです。私はまさに過渡期真っ只中です。皆さんはどうでしょうか。
私が高校生の時、大学受験において進路を決める時、志望校を決める時、進学先を決める時、どのタイミングでも「将来のことなんてわからないのに、けれどここで自分が成す選択がきっと将来の自分を行き先を決めるんだろうなぁ、こわいな」といった不安を漠然と感じていたことがあったけど、これも今思うと過渡期の中にいるからこそ生まれるものだと思うんですよ。
念のためネットで過渡期の意味を検索すると、「移りかわりの途中の時期。物事の移りかわりの最中で、まだ安定していない時期」だそう。
となると自分を取り巻く環境の移りかわり、自分自身の移りかわりの最中が過渡期なんだから、高校生の時に感じていた不安は、「ひどく不明瞭だが、今後の自分の人生を大きく左右してしまう予感を感じさせる過渡期」を上手に舵切る自信がなかったことから生じたもので間違いないし、大学生の私が今感じている不整合感もまた過渡期の荒波に揉まれている証拠でもあると思うんですね〜。
Q.大学生になった今の私が感じている過渡期とは?
ずばり、答えはこの記事のタイトル。
A.変容する自分 と 取り残される心
まさにこれなんですよ!
なんとなく理解できるかもしれないけれど、一つずつ説明してみます。
「変容する自分」=子供から「大人」へと変わる自分。
高校を卒業して大学に入学した途端、人間関係も行動範囲も今までとは比べ物にならないくらい一気に開け広がり、自由と責任が与えられました。
大学生はいわば「大人」として社会に出るための予行練習期間だと思うんです。(一応断っておくとなにも大学生にならないとこの予行練習期間がないわけではなく、高校生の間に例えばバイトの経験を積極的に積むことを通して「大人」になる予行練習をして社会に出る人だって当然いる。が、今回は大学生に焦点を当てて話を進める。)
法律で定められた成人年齢を迎えれば「大人」に自動的になれるものだと小さい頃は思ってた。そうでなくとも、大学4年間はモラトリアムと呼ばれているくらいなのだから、焦って「大人」になる必要はない、ゆっくり少しずつ「大人」になろう、と大学に入った頃はあまり重く受け止めず、気楽に考えていたけどね。でも、実際20歳を迎えてから早2ヶ月以上経った今、「自分は『大人』になれていますか?」なんて聞かれたら即座に首を横に振る。
予行練習期間である大学生活の中で、バイトで社会常識を身につけ、サークルで上下関係の中での人付き合いを学び、様々な出会いを通して好きな人が出来て、恋愛に現を抜かしたり。もちろん自分の興味関心のある勉学に励むことも、全部「大人」になるために大事な要素だということには多くの人が気づいていると思うのです。けれど。
何を以って「大人」になれたと言えるのか。私はその答えが分からない。正直自分が「大人」になる想像が全くつかないのだ。
けれど、だからといっていつまでも自分が「大人」にならず、子供のままでいることは許されるのか?
答えは「ノー」。社会は、私たちに「大人」になることを常に要求してきているからだ。ちらっと前述したように、20歳が法律上での成人年齢であるという事実はもちろん、進学に伴って一人暮らしを始める時、お年玉がもらえなくなったりいつの間にかクリスマスにサンタが来なくなった時、成人を迎える頃に家に届く国民年金の書類、結婚や出産が遠い話のように思えなくなる瞬間、就活。それらの一つ一つが確実に私たちの子供からの脱却を着々と押し進めている。つまり、自分が「大人」がなんたるかを理解しているか否かが重要なのではなく、所定の時期までに必ず「大人」という枠組みの中に入ることが私たちは求められているのだ。このあたりが「変容する自分」の根幹の部分となっている。そして、「取り残される心」にも関わってくる。
「取り残される心」=「大人」へと変容せざるを得ない状況に対する自分の戸惑いの気持ち・周囲の人から置いていかれるような気持ち。
これは絶ッッッッッッッ対、誰しもが一度は感じているはず、というか現在進行形で感じている人がほとんどだと思うのですが、まさしく。
その心情がこの「取り残される心」。
自分は社会から「大人」になることを要請されている環境の中で生きているけれど、そんな簡単に「大人」にはなれない。そもそも「大人」になるために手探り状態の日々を過ごしていてはいるけれど、自分なりの「大人」の答えを見つけ出し、自分がそんな「大人」になることが出来る、なんて確証はどこにもない。私はそんな不安を飼い慣らしながら生活している。すると、精神が子供な私は幾度も
「社会が『大人』になれって言ってようが、そんなん知ったこっちゃない。私は今が楽しんだからそれでいい、先のことなんて考えたくない。まだまだ子供でいたい……」
なーんて、こんなことをぼんやりと、しかし強く心から思う。このような「大人」になることへの放棄、逃避なんかは、変容しないといけない状況におかれつつも自分の気持ちが取り残されていることの分かりやすい表れだ。
また、大学に行くと周囲には自分と全く同じ境遇に置かれた友人がいる。そこで、互いが互いをまだ「大人」になりきれていない、子供のままでいることを望んでいるような段階に踏みとどまっているんだろうなと認識できるうちは、「まだ仲間がいたんだ」、という安堵感を覚えるに留まるだろう。
しかし、もし友人が自分より先に明確な将来の進路を見つけていたとしたら?進路の実現のためにインターンや何か熱中出来る活動に参加していたら?進路だけじゃない、友人の方がバイトの時間を有意義なものとして使えていたり、恋愛も順調だったり、順調じゃなかったとしてもそれを経験の一つとして人間的な深みを得られていた時、どう感じるだろうか?もしかしたらそれはいわゆる「隣の芝生は青い」ものかもしれない。けれど、同じ位置にいると思っていた友人が自分よりも先に進んだ位置にいるような、置いていかれたような気持ちを抱いてしまったら。その瞬間、八つ当たりとまではいかなくとも、友人を素直に応援する気持ちになれないことだってきっとあるはずだ。少なくとも私は大学に入ってから何度も何度も、この気持ちを味わったし、友人を応援できない自分の心の余裕のなさにも気付くことでさらに自己嫌悪した。
このように、友人が着々と「大人」への一歩を踏み出せているのに、私だけ何も変わってない……といった焦りを感じる心。これも「取り残される心」であるのだ。
「大人」になることを求めてくる社会。
「大人」とは一体なんなのか?明確な答えは明示されていない。
けれど、必死に「大人」の枠組みに入ろうとする自分。
そんな急激な「大人」への変化の中で追いつかない心、精神。
これが今の私の過渡期の全容だ。
簡潔にまとめてしまえば、求められている肩書き(「大人」)と中身(心)が一致していないことへの違和感、不安、といったところだろう。
ここまで読んでくれた人は「まあ、それは当然だよな」って感じの結論で肩透かしを食らったかもしれないけど、でも冒頭に目新しいことは書かないって書いてるから問題ないはず。(?)
自分の置かれた現状をこうやって書き留めておくことで整理できることだってあるからこの初回の更新、テーマは無駄じゃなかったと思いたい……。
来年から大学三年生ってなかなか信じがたいけど、時期が時期だから今まで以上に大学卒業後の進路を真面目に考えないといけないし、インターンも春休みから本格的に始める中で、この過渡期の変容する自分と取り残される心問題は何回も自分の中で浮上してきそうだなぁ。ただ、私は進路とかに関しては正直そこまで心配はしてないんですよ。いや、心配はしているけれど、全く目処が立っていないわけでもないし、自分の好きなこととかやってみたいことはある程度わかってて、それを実践できる機会を用意できてるからね。
となると、なんとなく薄々気づいている方もいるかもしれませんが、その通り。現時点で特に自分が一番「大人」になる上で一番足りていない経験、要素が「恋愛」だと思っているので、またいつかの記事で長々と恋愛の話でも書こうかと思います。
気づいたら日付が変わってたし、ゼミを平穏に離脱するための課題レポート終わらせてないし、この記事の文字数がその課題レポートの指定字数を優に超えてしまってたので寝ます。おやすみなさい。